環境倫理学

の本にはまってしまって、作業もするのだけど手がつかず、貪るようにして読む。大学二年の時に一度読んでいるのだけど、あの時とはまた少し違う感覚だ。当時環境倫理学の授業があって、その時の教官は鬼頭秀一さんだったのだけど、非常に面白く、一生懸命勉強して、試験の解答用紙にぎっしり自分の意見を書き込んだ。(そういう試験だった)でも、どこか少し上滑りな部分があったことも否めない。今回再び目を通し、じっくり読むと、以前以上になるほどなぁ〜と思う部分があって、感銘を受ける。それは「開発か、保護か?」ということを国土交通省の人に改めて問われ、そういった二元論はバカらしいと思いながら、しかし論理的に言い返そうとしても、「人命に勝るものはない。当たり前じゃないか。何か反論できるか?」といった言葉に反論し切れなかった時の悔しさが、僕を駆り立てていたのかもしれない。もちろんそれだけではない。やっぱり自分がものを見るときはどんなに排除してもある種のステレオタイプは排除できなくて、自分にとって強く反応する部分、つまり強く反感を抱く部分と、共感を抱く部分があって、それが個性でもあるわけなのだけど、少し固まってきた自分の感覚をほぐし、「様々な価値観を知り」、それらをつなげて解決の道を探るためのツールを欲していたためかもしれない。とにかく面白い時を過ごす。
やっぱり勉強は楽しいや。