調査三日目

四時に起きる予定が気が付くと五時前だった。起きてカップラーメンを食べる。まずは大丹波川で調査。昨夜に引き続き、清々しい朝だ。戻って、平溝川に行く。釣師がいた。釣師のカップルだった。う〜ん、これじゃあ調査し辛いなあと思っていたが、一応話をしてみる。「すみませーん、川の・・・」と言いかけると猛ダッシュで逃げ始めた。遊漁権を買っていなかったらしい。僕を監視員と間違えたようだった。遊漁権のある川(ほとんどどこでもそうだけど)に行くと釣り人は冷たくなる傾向がある。お金払って釣っているのだから邪魔するなという意見。だからやりづらくなるのだけど、今回はお金を払っていない人で助かった。話をしてどいてもらうことになった。
戻って、琴沢で調査。通行禁止の看板を無視して中に入っていく。こんな時バイクは心強い。
そして、入川谷に行く。大きなヤマメがいて目が合い、魚はあたふたと逃げ回っていた。
少し距離を走って日原川の上流に向かう。まず倉沢谷。川に降り立つ直前で、頭二つ分ほどの割と大きい石が崩れて、70㎝ほど落ちた。そこに崩れたその大きい石が落下。全てがスローモーションだった。その短い時間にかつて湯たんぽを左足に落として骨を折った四歳の自分を思い出す。ヤバイ・・・・、が、石は思いのほかスローモーションで落ちてくれ、右足の上に乗っかり、挟まったものの、骨を砕くに至らず。ただ、右足の脛を打撲。助かった。油断一滴怪我一生。中国から来た人で工場に張ってあったこの言葉を「油(石油)をほんの一時、一滴でも断ったら、私は自分を一生恨む、怪しむであろう」、つまり、それだけ日本人は必死で働いていると解釈して、大いに感心した人がいるそうな。気を取り直して広い川原でクリームパンを食べ、調査に取り組む。ヤマツツジが美しい。この時期の沢の楽しみだ。この清らかなツツジにはいつも心が洗われる。少し上の淵を覗きに行くと尺クラスのヤマメが悠々と泳いでいた。ここ日原川は都内で岩魚が残っている数少ない場所でもある。
林道を慎重に走りつつ、日原本流沿いの林道を走り、名栗沢へ。急傾斜の沢だ。ここも山葵がなる。採らなかったけど。戻って、小川谷の犬麦谷へ。斜面崩壊の場所かなり疲労漂う。つかれた〜、と何度も口にして元気を出す。終わると三時半を過ぎる。どうしようか迷ったが、今度行くであろう小菅川を見ておくことにした。バイクを飛ばして奥多摩湖畔を走る。ダムは好きではないけど、ツーリング気分を味わうにはいい場所だ。この小河内ダムは1932年には建設を決定された割と古いダムだ。当時は1955年の東京二十三区の人口は670万人で飽和すると考えていたらしい。それに対してこの小河内ダムは必要十分な容量を備えていた。しかし、東京の人口は予想を越えて増え続け、水不足もあってダム建設ラッシュが始まる。
菅川の上流に向かう。大菩薩峠まで3kmほどのところまで入っていった。少し戻って、白糸の滝を見る。だんだんと日は傾いてきた。白糸の滝は美しい滝だ。伝説によるとこの滝には竜が住むという。水不足に苦しんだ時、住職がやってきて云々と書いてあったが、この滝に至るまでの沢をどうやって上ったのだろう。なかなか急峻な滝とゴルジュ帯があった。ここに来るのは相当厳しかったと思う。今は楽な道が付いているのだけど。
帰りは奥多摩周遊道路を抜け、五日市経由で帰ることにした。渋滞が嫌だったのだ。奥多摩周遊道路は非常に交通量少なく二台ほどバイクとすれ違った程度。遠くには夕日が輝き、美しい。疲れていた心が洗われていく。その後は慎重に運転して、大学に戻ってきた。ふぅ。三日間で走った距離は約520㎞。セローは前回のオイル交換以来特にトラブルはなし。もう少ししたらタイヤの交換に行くかな。ご苦労さん。
家に帰ってぐうすか寝た。