目から鱗

「『信仰』と『宗教』は、別のものだ」
当たり前のことかもしれない。でも、はっきりとそう言われると、なるほど、と感じた。
宗教という組織は苦手で、嫌いだけど、信仰は崇高なもの。
確かに。
自分の中でそれらの区別がついてそうでついていなかった。
というか、そうしたことをはっきりいう人間が、同世代ではこれまであまり見なかった。


親と同じ宗教に子供も入信することはよくあることで、これまで、そうした人間に会って来たときは、「一応、俺、○○○ですよ」なんてことは聞いてきたけど、そこに信仰心は、もしかしたら照れ隠しなのかもしれないのだけど、感じられなかった。
世の中の宗教を見渡して、これまで、感銘を受けるものはあまりなかった。大きな組織には、必ず金と権力がある気がした。ただ、教えを説いている人自身に魅力を感じることはあったけど。
でも、心の奥底に、祈りというか、畏怖というか、そうしたものがないわけではない。ただ、既存の既に官僚化された宗教は興味がない。そうしたものよりも崇高なものだという気持ちがあって、もっと素朴なものだという気持ちがあって、そうしたものは抱いてきた。でも、無宗教です、というとまるで信仰心なんてものがなさそうに聞こえるのだけど、その感覚を説明するのは大変で、すっきりしていなかったんだ。
東京に来てから、ある宗教を知り合いに進められたりしたが、断り、でもそれだけでは頭が悪いのでその教義とやらを自分で本を読み齧ってみたが、当然納得なんて出来なくて、組織に操られて教義を広めようとしているその人物に、哀れみすら感じたりしたっけ。

信仰 ○ 宗教 ○ →信者、または操り人形
信仰 ○ 宗教 × →無宗教
信仰 × 宗教 ○ →権力の権化、手段としての宗教
信仰 × 宗教 × →無神論者?

こんなシンプルなはずないし、えらそうなことをかける身分じゃないけど、頭がすっきりして、なんだか嬉しかった。