水曜日

旅の終わりは始まりを意味する

今日締め切りの案件がいくつかあって、あたふたと過ごす。どたばたしていたかも。
あの日から早くも一年経ったんだなぁと思うと感慨深かった。でも、昼間はそんなこと考える暇もなく、あたふたとしていた。夜、やっと落ち着き、あの日、一緒にモスバーガーを食べに行った友人に、「歯車」、そういうタイトルでメールを送る。あの日、今日の日がこうであることは想像できたか?この一年、僕はどれだけ成長できただろうか?いろいろ考えていた。まだ、その意味はわからない。ただ、確かに分かれ目であったような、そんな気がしてはいる。それが良いことなのか、悪いことなのか、それはまだわからないし、わかり得ないことのような気もする。あるのはただ一つ、その時の自分と、今の自分は確かにつながっていて、先は見えないながらも、当時の自分の延長線上に今があって、その結果が、今の自分だということだ。目の前に何万通りも道がある中で、自分が選んできた道。そう、振り返れば小さな昨日、目の前に広がるは無限の明日。多くの場合は、無限の明日は、多くのしがらみにもしかしたらガチガチに固められているかもしれないけど。有限の人生の中で、自分に何が出来るのか?無駄な足掻きかもしれない。でも、せっかく生きているならとことん足掻いてみたいんだ。だって、最後はどうであれ、みな死ぬ。こればかりは逃れようがない。さっぱりしているじゃん。最高だよ。輪廻転生があったとしても、今も自分のIDで過ごすのは一度きりだ。出会いも然り。だからこそ、生きる意味があるわけだし。自分がしたいのは、シンプル。大きな時の流れの中にあって、そのルールは変えられない。でも、人が作り上げてきたものは、変えられる。それを何とかしたいんだ。
護るべきものと、変えるべきものと。なかなかうまくは行かないだろうけどさ。

夜、一人、チョーヤの黒糖梅酒を飲む。最近のマイブームの一つ。ほんのちょっぴりでいい、なんだかリッチな気分になれる。美味しい。
今日に乾杯。明日からも頑張ろう。


#写真は6/28、魚野川ゴール地点。一人、川原にたたずむ・・・