緑の日

四月二十九日は何かといろいろと物思いにふける日だ。深い理由があるわけではない。でもないわけでもない。そんなところ。波の音と潮の香りを思い出し、息いっぱいに吸い込む。海を見て育ってきた。犬を飼っていたときは、散歩でよく浜辺に行った。あの時の自分と、あの時の夢と、あの時からの想い、希望、信念、そうしたものと今の自分を重ね合わせる。夕暮れの港は、鳶が舞い、ピーヒョロロ〜と鳴きながら、どこか切ない。漁から帰ってくる船、漁に出て行く船のエンジン音。水面を見つめる釣り人たち。山間に沈んでいく太陽。五時を知らせるサイレン音。そして、生温い潮風のにおい。
中一の四月二十九日は友達数人で海辺で遊んだな。あの日はアメフラシをたくさん獲ってきて、紫色の体液をフィルムケースに集めていた。焚火をして、浜辺に落ちている缶に海水を入れ、磯についているいろいろな貝を採ってきて煮て焼いて食べたっけ。やっぱりガンガラが美味しかった。カラスガイはそんなに美味しいわけではない。カメノテは食べにくい。カサガイはほとんど身がなかった。サザエを採るにはまだ寒過ぎる水温で、少し泳いではすぐに陸にあがり火にあたるのだけど、光の通った海の透明さは言葉には言い表せなくて、ただ不思議なぐらい感動していた。
時が経つのは早いなって思う。自分は何歳まで生きるのかわからないけど、まだ人生の前半ではあるのだろうな。まだまだこれから。そう思い、今日も生きる。