帰省の途

高校時代の下宿先

国道246号線を走り続けて、沼津に深夜二時に着く。都心から三時間。悪くないペースだ。ここで国道一号線に移る。そしてひたすら走り続ける。国道一号線にある有料バイパスは 夜22時から翌朝6時まで通行料が無料になる。静岡県は長いが、バイパスがあるおかげで随分楽なのは確か。コンビニに寄りつつ、走り続けて、豊橋国道23号線に移る。岡崎市の手前で、いつの間にか国道248号線に入っていて、気にせず走っていたが、方向がずれ始めたので適当に戻る。適当だったので、細い道に入り、舗装されていない農道も走った。朝日が昇り始めて、朝の濃尾平野を照らす。しばらくして無事23号線復帰し、そのまま走り続ける。久居を過ぎて国道42号線に移る。
三重県松阪市には、朝の八時半ごろに着いた。いい時間だ。急に懐かしくなって、高校時代の下宿先を訪れることにしたが、下宿先のおばちゃんはいなかった。雨が降ってきて、土砂降りとなる。ついでなので母校に寄った。
覚えていそうであまり覚えていない校舎。雷がすぐ隣で轟く大雨の中、校門をくぐる。自分たちが学んだ校舎の前の校舎は崩されてなくなっていた。バイクを停めて、中に入る。職員室に入ると、懐かしい面々・・・とはいかなかった。配置換えでなじみのある先生の多くは、別の部屋に移っているらしい。知っている先生もいたがとりあえず、別の職員室に廻る。
が、先生たちは授業中でいなかった。仕方がないので時間つぶしに、さっき行った職員室に戻り、地理を教えていた原田先生に挨拶。顔を見るとすぐに思い出してくれた。
しばらく話をして、別の職員室に行く。するといました、尊敬する師、石本先生。僕が高校一年生の時の担任の先生だ。数学を教えている。普通に部屋に入っていき、「先生、お久しぶりです!」と言うと、あまりにも普通に入ってきたとびっくりしている。会えたのがすごく嬉しかった。五年半ぶり。先生はあのまんまだ。変わらず。隣の席は山本先生(英語)。高校1〜3年のときに隣のクラスの担任だった。この先生も割と気に入っていたので、嬉しかった。
石本先生は、いろいろお世話になった。担任を持ってもらったのはたった一年間。でもこの先生は強烈だった。最初は大嫌いだったと書いておこう。実際そうだったから。「戦闘モード」といって、先生がメガネを外したときは、生徒はびびる。自分が怒る以上、生徒が突っかかってきてもいいように、メガネを外すのである。初めは融通の利かない暴力教師だと思っていた。でも、二学期が始まり、先生のことがよくわかってくると、その後はひたすら尊敬していた。いろいろな部分で、上辺ではなく、中から、生徒を真剣に見てくれる先生だった。僕の未熟なところも、ちゃんとわかっていて、そこを潰すのではなく、伸ばしてくれた。大学に合格した時は、親よりも、親友よりも誰よりも初めに、石本先生に電話して伝えたのを覚えている。
いろいろ近況を話する。高校時代の同級生の動向もいろいろ聞いた。みんないろいろなところで元気に生きているらしい。「お前も随分落ち着いたなぁ」わんぱく小僧だった僕を知っている先生は、そのことを何度も口に出していっていた。某同級生が先生に、口のきき方がなっていない、と怒られたとき、「せいしゅうはどうなんですか」と言い返したら、「あいつは(敬語を)何も知らんのや」と言われた、というエピソードが懐かしい。僕としては精一杯の敬語のつもりだったのだけど、実際には「先生あのさー」と話し掛けていたらしい。
谷川先生(化学)、陽先生(古文)にもあった。みんな覚えていてくれた。その後、別の部屋に行き、高2〜3の担任だった中村先生(数学)にあった。
別の建物に行き、そこで中西先生(数学)、赤塚先生(古文)、冨山先生(英語)にあった。他にまた別のところで太田先生(物理)にあう。懐かしかった。
昼過ぎまで高校にいて、その後再び下宿に行ったが、おばちゃんはいない。諦めてバイクで出発しようとしたところでばったり会う。昼ご飯に御寿司をおごってもらった。ご馳走様です。いろいろ話をする。高校時代、後半はおばちゃんの僕に対するバッシングもあって、それを日下部(下宿の同期)とよくネタにして楽しんでいたのだけど、今はそんな恨み言は何も感じなかった。まあ、多少クセはあったけど、親切なおばちゃんであったことは確か。高校時代は必死に勉強した。中弛みして麻雀とかしていたときもあったけど。いろいろ追い詰められると今でもこの下宿先の夢を見る。今はただ、懐かしい。
松阪市から実家までの一時間半ほどの運転は眠くて辛かった。雨は降ったり止んだり。そして家にたどり着く。走行距離は大体530〜550㎞。ふぅ〜。家では父が機械の錆びを落としていた。
すぐに寝るつもりだったのに、父とバイクの整備を始めたら止まらなかった。とりあえず洗い、錆びた部分を磨き、塗装し直し、チェーンの洗浄、エアクリーナーの洗浄、緩んだビスの締め直し、他、いろいろやった。
夜は両親といろいろ話をした。

11時を過ぎてようやく寝た。