節分の日

地元にいた頃はそういう習慣はなかったのだけど、二年ほど前から太巻(恵方巻)を買って節分に食べるようになった。今はコンビニでたくさん売っているので、今年も腹ペコのお腹に今年の恵方である西南西を向いて黙々と一本平らげた。美味しかった。
片付けの続き。いろいろなものが出てきて、感慨にふける。
この木の枝は何だろう?と考える。あ、そうだ、これは二年夏合宿で東北八幡平の葛根田川支流中ノ又沢で手づかみで捕まえたイワナの体長を、巻尺を持っていなかったので、落ちていた枝を魚を同じ長さに折って、持ち帰ってきたものだった。
大きな白い美しい石。これも夏合宿の途中で気に入って拾ってきたものだった。
白い繊維の塊り。これは、高校時代に実験で、1、6-ヘキサメチレンジアミン溶液にアジピン酸ジクロリドを積層させ、取り出した6、6- ナイロンの塊だ。人生で初めて作った合成繊維ということで捨て難く、ずっと持っているのだけど、合成繊維を作ったのは後にも先にもこれっきりだった。
それは、ネパールのアンナプルナベースキャンプ近くの標高4200m程の小高い丘の上で取った石だった。それは、学生実習で切り出した杉の丸太の一部だった。それは、学生実習で掘り当てた黒水晶だった。
退部届けなんかも出てきて笑った。こんなものも作ったなぁ。これは、いつでも辞めれるように、日付だけ空欄にして作ったもの。ご丁寧に血判まで捺してある。いつもザックの非常用パックの中に入れてあったっけ。
これは、あの時の旅行の装備表だ、これは、あの時乗った帰りのフェリーのチケットだ、といろいろ見ていると、面白くて、でも全然進まない。駄目だ、こんなようでは終わらない。心を鬼にして、いろいろ片付けていく。あ、これは秩父で調査していたときに、同じ場所で調査していた人(女性)が、設置したけど増水で流された温度計の残骸だ。あ、これはオーストラリアで買ったブルローラー(うなり板)だ、あ、この破れたボロボロのスタッフバッグは、中三のときに買ったものだ・・・・・と作業が・・・・・
ああ、きっといろいろ拾ってくるから行けないんだ。しかもこれまでは部屋をきれいにするために奥に仕舞い込んできたものを今度は出す時だから、大変だ。もちろん、懐かしくて持ち続けているものもあるのだけどさ。いいんだ、今度は少し身軽になるから。
たくさん実家宛に宅急便を送った。夜一旦学校にやって来る。
学校では、たまたまやってきた、イトー、オーヒラ、川上さん、途中から池田さんと話をしていろいろ盛り上がる。
家に帰って、片付けを続けた。そして、いつの間にか荷物の狭間で眠っていた。