下河内

ここに来るのは何年ぶりか?ずっと昔に父の仕事に付いてやってきたっけ?小学校のときに見学に来た記憶もある。昨年の台風22号の傷跡が残る集落を越えて下河内へと向かう。ホタルが見える橋を通り過ぎるときに唖然とした。浮石がたくさんある茶色く藻類が覆った清冽な流れは消え、細かい砂利だらけの中を流れる水。まるで河川工事の直後みたい。台風の出水で土砂が大量に出て、全部埋めてしまっていた。ここに再びホタルが戻ってくるのは何年先になるのやら。
下河内の集落に着く。今度ここの三枚の田んぼを蕎麦畑にして、ここの公民館で蕎麦を出せるようにするらしい、・・・等、説明を聞く。集落から見える遠くの山は植林はしていないが、周辺は植林だらけ。雨上がりとはいえ、少しどんよりとした空とヒノキの暗い緑は、集落周辺の自然を恵み溢れる優しい雰囲気ではなくて、寒空の下、寂しさをかきたてるものにしていた。四季折々の山の色の移ろいを知っていると、この暗い緑色は、気持ちを暗くさせる。
道路の横に作り中のビオトープ池があった。水はまだ流れていなくて、茶色く濁った水がどんより溜まっている。この場所にビオトープ池を造ることにどんな意味があるのやら。ビオトープはそもそも自然空間や動植物の生息場所の少ない場所において、自然を残し、共存を謳ったものだ。この田んぼだらけの場所で、何故必要?都会からやってきて、田んぼやら周辺の野原に入れない子供が、このビオトープ池で戯れるのか?このビオトープ池でトンボの種類を覚えて、周辺に繰り出すのか?環境学習用?
でも、ふと、周りは自然だらけ、というフレーズに引っかかる。昼前に東京から戻ってきて、目が慣れるまでは、ここは確かに自然豊かな場所だった。でも、次第に昔の感覚を思い出す。ここのどこが自然豊かなんだ?田んぼも圃場整備されているし、付近の山も植林だらけ。こんな場所にこそ逆に必要??
ビオトープ池のできた経緯は、何やら、町会議員の一人が、こういう場所にはビオトープというものを造るらしい・・・・という話をされて、では造っときましょう、ということで造れたものらしい。今現在の都市公園や、学校にあるような非常に小さなビオトープ池は必要ないです。造るのなら、一層もっと大きな湿地や、ため池を造ってもらいたい。乾田にした部分を湿田に戻して、ちょこちょこっと中を探索できる歩き易い木道を造ってくれればそれでいいや。その上でなら、今の小さなビオトープもあっていいだろう。今あるものは小さ過ぎ。遊びで虫を集めはじめたら、あっという間にいなくなってしまう。触れられない自然に、何の意味があるのやら。
川沿いに立派に造られた道を歩いて、川に行く。この辺はヒルが割といるのだけど、寒かったせいか、見られなかった。川はここも土砂で埋まっていた。ここまで土砂を生産させた理由は何なのかと、植林だらけの山々を見て、考えていた。
その奥の集落も少し回る。かつて父と渓流釣りに来た淵も埋まっていた。戻って、今度は数年前から既に動いているビオトープ池を見に行く。その道の途中、川を見るが、見事に干え上がっている。夏場は水深2.5mはあって、飛び込んで楽しい場所なのに。昔は冬でも水が途切れなかったというこの川の水が、何で見事に無くなってしまうのか、遠くの山々を見ながら考えていた。
熊野古道で有名になったツヅラト峠を下ったところにある、メダカの分校、とかいうビオトープ池。これもまったく何だかなぁ、という代物。メダカは確かにいた。でも池の中には入りたくない感じ。丸太で作った木道もボロボロだし、中の泥も薄汚れた感じ。美しさがまったくない。アオサギが来ていて何やら啄ばんでいる。中央にちょっとした浮島、または隠れ場があれば、随分中の生き物は楽だろうな、と思う。メダカの分校の他、植物別に池があって、何を入れてあるのだろうと見ると、ホテイアオイだとか、他のものだとか。確かに花はきれいなんだけど、何のためのビオトープかと考えてしまう。

夜、明日から乗っていく車を整備し、家で地元の食材を味わい、台風22号で被害を受けた宮川村のアマゴ養殖業者のことを取材したNHKの番組を見た。こたつに座っていたら、猫が膝の上に乗ってクークー寝始めた。起こすのが何だかかわいそうで、仕方がない、とそのまま本を読み続ける。夜二時を過ぎて寝た。