やきものへの憧れ

先日、陶器作りをしたい、と日記に書いたのだが、その憧れはどこから来ていたのかと思っていたら、夕方急に思い出した。昔、BE-PALで「七輪で焼くやきもの」を紹介しているページがあった。そこでは、キャンプに行き、そこの土を使い、そこの草を焼いた灰で作った釉薬をあわせて、七輪でぐい飲みを焼き上げ、ビールを注いで乾杯する、という遊びが紹介されていて、かっこいいなぁと高校時代に強い憧れを持ったことを思い出した。七輪で焼き上げるという手軽さ・素朴さがいい。太古の昔、やきものをつくった先人たちは、最初から立派な釜があったはずがない。七輪への憧れとしては、小学5年生だったか、6年生の時に、七輪に釘を入れ、真っ赤になったところをつまみ上げハンマーで叩くということを繰り返し、お手製ナイフを作ったこともあるかもしれない。引き伸ばした釘を研いで刃をつけたのだけど、知らぬ間に自分の手も研いで皮が随分薄くなって痛かったことを思い出す。おかげで刃物を研ぐのは上手くなったし、そんな経験をさせてくれた担任の先生に感謝。いい先生だったな。
話は逸れたのだけど、それで確か本を出していたはずだと思って、Google様に適当にキーワードを入れて検索していると、出てきた。「すべてができる七輪陶芸」。本の表紙の顔写真を見て、確かにこの人だったと確信を持つ。この怪しさがまた渋い。ただ、絶版になっていて、古本はあるのだけど値段が高いので、同じ著者が書いた一番新しい本を注文することにした。本のタイトルは「10分陶芸」。
実は今朝アマゾンで新約のカラマーゾフの兄弟や、植物の歳時記図鑑等々、一万円近くの書籍を注文したばかりだったのだけど、また注文してしまった。屋久島にいるとアマゾンを結構使う。便利な世の中。
特別な道具を使わず、訪れた場所、住んでいる場所の土を使って作った素朴なやきものってとっても素敵な気がする。そしてそれで飲むビールは最高に旨そうだ。七輪でやきものを作る日が来ることを想像しながら、本が早く届かないかと夢見る秋の屋久島の夜。