帰省二日目

朝6時ぐらいに目が覚めて、その後早く起きてきた母親といろいろ話をした。8時半を過ぎてお出かけ。
同郷の1つ上の先輩で、高校時代には同じ下宿先だった方が、大学を出て大手化学企業の研究職についたのだが、3年ほどで辞めて農業をするための修行を海外(米国)も含めて何年か重ね、今年から独り立ちして畑を作っている。その活躍は新聞でも取り上げられていて、せっかくの機会と会いたくなったのだった。昨夕電話すると明日の朝なら畑にいるよ、とのことだったので、会うのはおそらく14年半ぶり。場所は旧・海山町(現・紀北町)が誇る屈指の清流、銚子川のほとり。
陽に焼けてますます逞しくなっている(写真)。ちょうど収穫は終わっていて、畑は閑散としていたが、ビニールハウスの中には、収穫物のカボチャがたくさん積みあがっていた。40分ほど話をした。
担い手となる人材の話が話題の中心だった。何か現状を打破したいという若者は何人か、いや何人もいる。でも、みなきっかけを掴めずにいて、何かをしても尻切れトンボになりがち。それをどうしていくのか。
元気のない担い手のいない田舎は日本全国のあちこちにある。それらをどうしていくのか、答えは持ち合わせていない。でも、何とかしたいという人が何人もいるよ、という話は嬉しかった。僕も僕なりのつたない思いを話してみた。具体的に何かあるわけではないけれど、何か協力できればなぁと思いながら、話を聞いていた。ありがとうございました。
家に帰ってきてからは、甥っ子と遊ぶ。昼は寺に行き昨日に引き続きお経を上げてもらった。その後は墓参り、そして、会食。幼き日々に一緒に遊び続けた従兄弟はすっかり大人になっていて、あらためて時の流れを感じていた。その後は親戚筋を回り、ついでに白石湖をぐるっと周って帰ってきた。
あっという間に時間は過ぎて夕方。母親の打った蕎麦をいただいた後、特急ワイドビュー南紀号に乗り、東京へ。鈴鹿F1日本GPが開催されていたので指定席は取れなかった。鈴鹿では大勢の人が乗りこみ賑わう。みな久々の日本人ドライバーの快挙に興奮冷めやらぬ様子。混んではいるが、表情は明るい。ワイドビュー南紀号はよく到着が遅れるのだが、この日は18分遅れで名古屋駅に到着する。約25分の余裕を持った新幹線を取っておいてよかった。東京へ。祖母の一周忌は無事終了。たった一日半だったけど、長い時間が通過した気がした土日だった。