奥駈五日目

八経ヶ岳にて記念撮影

起きてスパゲティーを食べる。小屋の外に出ると、明るく、いい天気だ。日焼け止めをたっぷり塗った。スキーを履いて出発。膝ぐらいまで埋まりながら進んでいく。行く先に近畿最高峰八経ヶ岳が見える。やがて太陽が昇ってきた。これまで歩いた稜線も全て見渡せる。美しい。本当。信じられないぐらい。
トウヒの樹林帯を、枝に引っかかりながら歩いていく。スキーが快調だ。スキーがなければ腰上のラッセルになってまったく進まないと思う。一時間ほど歩いて八経ヶ岳に立つ。さっきまでいた弥山小屋がおもちゃの家のよう。遠くに大普賢の尾根のギザギザが見える。振り返ると、これから進む稜線が、南に連なる。見える範囲で一番遠くのほうに、ピラミッド型の秀峰、釈迦ヶ岳が見える。この距離であっても山頂下の雪壁、ギザギザとした岩場、手前の岩の稜線が見え、猛々しく、また不安を感じた。大丈夫、何とかする、そう唱え、ウォーーーーーーと吼えた後、いよいよ八経ヶ岳から南に向かって進んでいった。
明星ヶ岳までは、少しの下りそして、上り。相変わらず雪深い。慎重に進んでいく。たまに倒木があって梃子摺る。急なくだりは慎重に滑る。明星から先は稜線が少し細くなり始め、尾根筋を行きつつ、切れ落ちていない右斜面のトラバースをやった。ジグザグしながらゆっくりと進んでいく。1770m付近で休憩。明星、そして八経の眺めが良い。
その先は、尾根が細く、トラバースも急でスキーを脱ぎつつ進む。アイゼンを履き、尾根筋に立ち、細い部分を歩き、急斜面を降りてその先にいくと、岩の上に出てしまった。落ちたらやばい。これは。地形図上で岩マークは何も出てこない。でもこの急な部分がおそらくそうなのだろうと考える。エアリアには五胡峰と書いてある。木をつかみながら慎重に戻って、手前の急な谷筋を下ってもう一度先に進むが、またも岩の中盤に出てしまう。これは困った。ザックを置いて、少し偵察。結構斜面を下ると、岩肌が尽きて、そこからトラバースすることが出来た。天気がいいので雪が次第にべっとりと腐ってきて、アイゼンにだまになってくっつき、雪を少し落とさないでいるとアイゼンが役に立たなくなる。どんどん雪が崩れてしまう斜面を慎重に登り返して、ザックを背負って慎重に下った。巻き終えてホッとする。こんなところにこんな岩場があるとは。
その先はただひたすら辛かった。尾根筋に結構木が生えていて、細かな急なアップダウンがあって、スキーを履いて進めないのだ。が、スキーをはかないと膝上まで埋まり、またスキーが枝に引っかかり激しく消耗する。藪漕ぎよりも辛い・・・・。夏道は右の斜面をトラバースしているようだが、雪の腐りつつある急斜面のトラバースは、雪が崩れて滑落しそうになり、神経を使い相当消耗。かといって尾根筋も書いたように消耗・・・・・・かなり体力的にも精神的にもクタクタになった。
日差しが強いので日焼け止めを塗り直そうとしたが見つからない。どうやら朝、弥山小屋に置き忘れてきたことに気がつく。ショック。色白だから日焼けに弱いのに。べっとりとした雪と強い日差しを受けながら、ゆっくりと進んでいく。舟ノ峠を過ぎ、この先はようやくスキーが少し快適に滑れるような傾斜になり、やっとの思いで1693mのピークに着く。七面山への分岐だ。五胡峰からここまでは本当に消耗した。
1693mのピークからは、なんとびっくり、携帯電話が通じた。緊急連絡先にしている実家に電話すると母が「生きとったー」と何やら半泣きになっている。僕が山に入って二〜三日後に大峰に詳しい伯父さん(母のお兄さん)が、そう言えばあいつはどうしている?と電話があって、山に行ったで、とこたえたら、「今年は雪が多いし、それでなくても行けるはずがない。あそこに行ってしまったら死ぬぞ、もし電話が通じたらすぐに降りるように言え!」と言われて、あまり山に詳しくない両親は、初めてどういう山にどういう状況で僕が行こうとしているのか何となく理解し、パニックに陥っていたのだった。実際、僕は山に入ってから誰一人あっていないし、トレースも稜線上ではまったく見ていない。この時期の縦走は、雪深く敗退しているのがほとんどで、単独でこの雪の多い時期というのは読んだことがない。みんなこの時期にここに来たりはしないのだ。「何でもいいから早く山を降りてくれ〜」と半泣きになっている母の声を聞くのは辛かった。しかし、ここは戻るも進むも最低二日、下手したら三日かかる場所だ。そんなことを言われても困る。とにかく今生きているし、食料・燃料も十分にある、釈迦ヶ岳を越えられるかは微妙だが、とりあえず予定通り進み、今日は持経ノ宿に泊まる」と話をして切った。が、後で持経ノ宿ではなく、楊子ヶ宿跡だということに気がつき、戻って電話し直した。弥山を出たときから緊張していたのだけど、しかし、この1693mのピークは、携帯電話が通じ、かつ、ヘリも着陸できそうなので、いざとなったらここまで戻ってくれば生きて帰れると、ちょっぴり心強くなった。
楊子ヶ宿跡までは、何でもない雪道だった。下って、その間の小ピークは雪が随分融け、笹がたくさん見えていた。振り返ると七面山の絶壁がそそり立っている。迫力があった。楊子ヶ宿跡にはログハウスの素晴らしい非難小屋が建っていて、時間がまだ早めだったので迷ったが、泊まることにした。湿ったシュラフや靴、他いろいろなものを日に干した。小屋の中は二階建てで、ガスカートリッジや缶詰、ラーメンなどの食料品のデポがあった。中にテントを張り、快適に過ごす。天気図を取ると高気圧が真上にあったが、明日にはこれが去ってしまうらしかった。明日からの悪天候を憂えう。
今後の計画を組み立て直す。明日はおそらく悪天で釈迦ヶ岳は越えられないだろう。となるとアタックは明後日だ。明後日、前進にリミットを切って、もし駄目だったら何とかしてこの楊子ヶ宿跡まで戻ってくる。そうすれば弥山小屋まで1〜1.5日、行者還トンネル西口まで下り集落まで丸1日。それだったら、予備日二日分残したまま下山することが出来る。雪深いし天候によっては進めないから予備日二日は確実に欲しい。実際、弥山から行者還トンネル経由でミタライ渓谷まで一日で行けるという保証はないし。となると、明後日、釈迦ヶ岳を越えられるか否か。引き返すならどこで引き返すのか。戻るのに丸三日かかる場所に行く不安感。釈迦ヶ岳を越えてしまえば、向こう側に一日かければ辿り付ける集落がある。今いる場所は両方に最低でも二日間はかかる非常に深い場所。釈迦ヶ岳を越えられないなら、なおさら辛いな。
逃げ出したい衝動。釈迦ヶ岳を無事越えたいという願い。一人という不安。戻るにしても、非常に苦労するラッセル、スキー、藪漕ぎ、五胡峰の巻き、弥山小屋からの下り、トンネル西口からの雪に埋もれた長い林道・・・・・考えるだけで気が重くなる。あ〜あ、大変なところに来たものだ。今、もし風邪なり、骨折なり、捻挫なり、何らかの形で動けなくなれば確実にアウトだし。
結論としては、明後日、昼の12時までに釈迦ヶ岳を越える目途がつけられなければ、戻る、なのだけど、いろいろな不安と緊張が押し寄せてきて、ひたすら悩んでしまった。泣きそうな母の声も頭にこびりついて、頭が痛かった。
夜は、湯たんぽを作ったが、暖かく、快適だった。

タイム
6:05@弥山小屋 〜7:00@八経ヶ岳 7:10〜7:50@明星ヶ岳 〜8:27@1770m 8:40〜(五胡峰通過)〜10:40@1680m五胡峰を越えたところ 10:50〜12:30@舟ノ峠 12:40〜13:30@1693m 13:55〜14:30@楊子ヶ宿跡

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