奥駈六日目

雨の仏生ヶ岳

朝、三時半過ぎに起きて準備する。高気圧が少しでも残っているうちに、もしかしたら釈迦ヶ岳を越えられないだろうか?そんなことを考え、早朝発って様子を見ようと考えた。まだ真っ暗。その中、外に出ると星が煌いている。これは大丈夫かもしれない、僅かな期待を抱いて、準備を整え、五時半過ぎに出発した。が、既に星は見えず、どんよりとした雲が押し寄せてきていた。
仏生ヶ岳までの登りはそんなに苦労しなかった。尾根筋が広いのでスキーでも快適だ。やがて稜線が少し細くなってくると、スキーを脱いでズボズボはまりながら進む。でも、半分弱は足首程度埋まるぐらい。たまに腰ぐらいまで埋まって唖然とするが、埋まっても膝程度のところが多かった。
風はどんどん強くなっていった。やがて雨も降り始める。激しい風が、山の裾を駆け巡り、嵐がやってきていることを何度も告げていた。視界は既にかなり狭くなっている。仏生ヶ岳を過ぎて、その先の尾根筋をコンパスを切りながら歩いていったが、ふっと一瞬霧が晴れたときに、行く先に岩の小ピークがあることがわかった。両脇も岩っぽくて、どこに弱点があるのかぱっと見ではわからなかった。すぐにガスがかかり見えなくなる。そこで足が立ち止まった。この小ピークを下手に越すことは出来ない。今日は戻ろう。・・・・・・・・・
トレースを辿りながら戻る。風雨はどんどん強くなってきていた。仏生ヶ岳のピークの近くの平らな部分にテントを設営する。仏生ヶ岳のピークからは携帯電話は通じなかった。
テントに潜り込んで、シュラフに入り、ラジオを聴く。精神的に疲れ切っていた。9:10からの天気図を取り、気を紛らわせる。外は雨が降り続く。
この日、停滞しながら考えていたこと、それは今後も忘れ得ないと思う。明日の天気はどうなるのか、釈迦ヶ岳の椽ノ鼻を越えることが出来るのか、その先の急登は・・・・・そんな不安から、今は自分を信じるしかないという思い、自分は周りの人間に支えられて生きてきたんだなぁということの再認識、親心、自分がこれからしたいと思っていること、大学での生活、旅、他、いろいろなことをずっと考えていた。振り返れば、何でもないことなんだ。でもこの時のどうしようもないぐらいの胸を掻き毟りたくなるような不安・孤独、そして己を信じること。そうした思いは忘れないと思う。
元気を出すのにいろいろ歌を歌った。ちょっと元気になった。でも小田和正の「君との思い出」という曲があるのだけど、歌詞で「こんなに会いたいと思うのはきっと たぶんこのまま二人もう会えないから どこか別の場所で今も この同じ空の下生きているんだね」という部分が冒頭にあって、なんだか縁起が悪い気がして、歌うのをやめてしまった。
長い一日を過ごした。夕方天気図を取って、ご飯を食べるとちょっと元気になった。明日、晴れてくれるのだろうか、視界がなければ行けないな、そんなことを考えながら、もう何度も何度も考えたことをまた考えながら、眠りについた。

タイム
5:35@楊子ヶ宿跡 〜7:00@仏生ヶ岳先引き返す 〜7:30@仏生ヶ岳

大峰奥駈の写真付記録はこちらへ