奥駈七日目

椽ノ鼻にて

朝から強い風が吹いていた。テントの中にいると不安だけが募る。起きてスパゲティーを食べ、準備を整え、テントの外に出る。と、なんと視界良好、見渡せるではないか!!!!!!嬉しさ100倍、不安はあるものの、ようし、何が何でも越えてやる!!そうした気持ちが体の奥からもりもりと湧き上がってきた。さて出発。少し歩いて怖そうだったのでアイゼンを装着。斜面の右側をトラバースしていく。埋まり具合は足首ぐらいから腰までといろいろ幅があって苦労する。これからいく釈迦ヶ岳の急登、雪壁、岩場が見える。心の中はどきどきしていた。昨日引き返した岩の小ピークは右側の岩の隙間を通って何とか通り過ごす。後で聞いた話によると、ここは実は左側を行くらしい。夏道でも間違える人がよくいるとかいないとか。そこを越えて、木の枝に引っかかり、雪に埋まりながらもゆっくり前進していく。と、なんという事だ、ガスがかかり始め、視界は50m以下になってしまった。周りの大きな地形が全然わからない。コンパスを切りながら進むが、その先の小ピークでは、少しだけ現在地を把握し間違えていたことに気がつく。視界がなく、やがて細かな粉雪も降り始める。風はきつい。こんな悪条件下では越えられない、と気持ち暗くなる。グザ、グザ、と踏みしめながら進み、孔雀岳の少し先の孔雀覗までやってきた。視界はまったくなし。引き返すなら今だぞ、と心の中の自分の一人が、僕に告げていた。目印テープもわかりにくかった。ここまではほとんど辿らずにやってきた。どうしようか、悩んでいた。が、まだ時間は8:30。時間はまだまだある。進んでみよう、そう思った。リミットは12時だ。それで無理なら諦める。すくっと立ち上がってコンパスを切りながら、目印を探しながらゆっくりと歩いていった。
風雪はどんどん強くなる。今日は冬型が決まっているのだけど、北西の風がちょうどこの稜線に吹き付けるようだ。この場所は弥山ほどではないが、雪は非常に多かった。しばらく歩いて、無事通過できますように、と願をかけ、また歩き出したそのすぐ後だった。そこはちょっと急な斜面で下に向かって降りていくところで、木はまばらで落ちるとやばそうな場所。歩いていたどちらかの足の雪が崩れてそのまま前方に倒れ、左足の足首先、つま先だけで斜面に引っかかっていた。冷や汗がどっと出た。左足首を強く90度に曲げ、頭にのしかかっていた重いザックを何とか横にずらし、ピッケルを打ち込み、息をゼーゼー言わせながら何とかひっくり返り、一息つく。危なかった。吹き荒ぶ風から、しっかりせい!!と叱られた気がした。油断一滴怪我一生。気を取り直して先に進む。
鎖場を一ヶ所か二ヶ所越えて、両部分けと思われる場所に来る。尾根上の細い切れ込みなのだけど、ここは非常に風が強かった。目印に従って左側を巻いたが、その先、目印がなくなった。椽ノ鼻の手前部分だ。ザックを置いて探したが見つからない。尾根の両側は切り立っていて、正解ルート以外は非常に行き辛そうなところだ。しかし、なかなか見つからない。視界があればまだわかるのかもしれない。でも、今は全然周りが見えないでいた。ここまでか、そう考えたが、もう一度両部分けに戻って、そこからじっくりルートを考え直した。俺だったらここを通りたくなる、そうした部分を二ヶ所ほど押さえると、その先に目印テープを発見できた。その先にも続いていることを確認し、ザックを背負って先に進む。まだ時間はある。岩場のテラス状のところに小さな観音様の銅像がある。両手合わせて無事を祈る。
その先は鎖場が何ヶ所か。そして距離は短いが急な雪斜面の登りがあった。ガスがかかっていてよく見えないが、時折視界が開けて、釈迦ヶ岳の岩肌、そして石柱が見える。高度を下げ、大岩を左からぐるっと巻いた。その登った場所で休憩。時刻は10:50。椽ノ鼻の悪場は越えたらしい。何とか釈迦ヶ岳も越えられる気がしてきた。休憩している場所から先の道がわからず、空身で偵察。尾根の右を見るが道がある気配はない。戻ってきて、どこだろうかと考えながら右手のオーバーグローブを外すと、中に入れてあった目印用のテープが落ちてコロコロと転がっていく。あ、待て・・・・そう思いながら軽やかに転がっていく赤テープを見ていたら、転がっていった横の木に、目印がついていた。その先で赤テープはストップ。しっかりしろよ、と赤テープに道を指し示された気がした。ザックを背負って、目印まで行き、赤テープも回収。ズボズボ埋まりながら歩いていく。
すぐ先も道に迷ったが、おそらくそろそろ稜線に戻るに違いないとやや急な雪壁を登り、尾根に上がると赤テープを発見できた。いよいよ釈迦ヶ岳への登りだ。視界は見事なまでにない。尾根に乗って、ちょっとした岩場を越えると、稜線上は岩で通過は無理そう、が、右側は雪壁になっていて、通過できそうなところがある。荷物を置き、空身になってキックステップとピッケルを打ち込み、支えながらその急な雪壁を登る。樹木はあまり生えていないので、落ちると奈落の底かも知れない。目印も見つからず、その先のルートがわからなかったが、地図を見る限りにおいても、おそらく尾根筋の岩場に戻るだろうと考えられたので、そちらに向かう。すると岩場に鎖がついていた。これはラッキー。ザックを取りに、先ほどの自分のトレースを後ろ向きに慎重に降りていった。ザックを回収して慎重に登り直す。鎖場のところは、上部がべったり氷がついていて怖い。その後はトラバース、これも空身なら何とでもなるが、ザックを背負っていると恐ろしい。ロープを張ることにした。両端固定して、中間ピンも取り、フィックスロープを張る。戻ってザックを背負って慎重に通過。その後また戻って中間ピンを回収しながら戻り、最後にロープを回収。ふぅ。その先も細めの岩稜線を歩く。滑り落ちるとやばそう。風が非常に強く、身をかがめながら慎重に進む。岩場からまた雪壁に戻るルンゼでは大事を取って懸垂下降で降りた。山頂下の急登は、確かに急なのだけど、木が割とたくさん生えているので高度感、恐怖感はなかった。足を乗せたときは沈まないのに体重をかけるとズボッとはまる立ちの悪い膝上ラッセルに苦しみつつ、心の中では安堵感が漂っていた。ラッセルと格闘して、14:15、釈迦ヶ岳山頂に立った。心の奥から言葉にならない叫びが沸き起こってきて吼えた。大峰の屈指の展望台で、展望は全然なかったけど、嬉しくて叫んでいた。
携帯電話がつながったので、緊急連絡先になっている実家に電話する。話を聞いていると、大峰に詳しい伯父さんは、どうやら前鬼宿坊に食料と燃料を届けに行ったとか行かないとか。とりあえず危険ヶ所は過ぎたことを告げ、今日は深仙で泊まり、おそらく本宮目指して縦走を続けることを告げておく。後で聞いた事なのだけど、伯父さんは僕が釈迦ヶ岳を越えたことを聞いて、「これでもう大丈夫だ、あいつは命拾いした」と親に話していたらしい。写真を撮ってから、先に進む。
釈迦ヶ岳を過ぎた先は、驚くほど雪が無くなっていった。道は雪で覆われているのだけど、どこに道があるのかはっきりわかり、今までのように20〜50歩歩いては地図を読みコンパスを確かめていたのとは大違いだった。山に行く直前に「新宮山彦ぐるーぷ」の代表の方に、今釈迦ヶ岳の積雪はどのぐらいでしょうかと訊いたら、10cmぐらいでしょう、と言っていたのだけど、こちらの南側ならそれもわかる数字だ。冬型が決まり寒気が流入するときの北西の風の多くは、釈迦ヶ岳でさえぎられるということか。安堵感に包まれながら歩いていく。が、昼前から右足の踵が靴擦れで痛かったのだけど、下り始めてすぐに左足小指に激痛がはしり始めた。ズキズキする。あと少しだからとだましだまし歩いていった。
深仙に着く。ぼろい避難小屋があり、その中でテントを張ることにした。次第に風雪が強くなって、夜はかなり激しい風が吹いていた。深仙の避難小屋はかなりぼろくて、雪が吹き込み、中でテントにうっすらと積もっていた。リラックスして飯を食べ、明日以降の計画を練る。自分は当初の計画では、楊子ヶ宿〜仏生ヶ岳〜釈迦ヶ岳〜太古の辻〜涅槃岳〜持経ノ宿なんてルートを一日で行くことになっていたが、よくよく見るとそんなのはとてもじゃないけど不可能だったことがわかる。もっとも夏道なら行けるのだろうけど。残された日数は4日。でも最終日は非常時用に取っておきたい。となると3日。まぁ、頑張るしかないだろう。明日は平治ノ宿を越えることを目標とした。痛かった左足小指を見ると、爪のところが腫れていて浮き上がっていた。キックステップを繰り返すうちに傷つけてしまい、化膿させてしまったらしい。釈迦ヶ岳の山頂まではまったく痛くなかった。アドレナリンが分泌されていると痛みが感じられないのだなと思った。
夜は安眠できるはずが、吹き込む雪がなかなか不快で寒く、あんまり眠れなかった。
弥山、八経、釈迦、と雪深く、山深いところを突破する、奥駈の第二ステージが終了した。

タイム
6:30@仏生ヶ岳 〜8:30@孔雀覗 〜(椽ノ鼻)〜10:50@1670m(最低鞍部付近) 11:05〜(釈迦ヶ岳登り:ロープ2回使用)〜14:15@釈迦ヶ岳 14:30〜15:10@深仙

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