奥駈九日目

朝、平治ノ宿の先。

今日は根性日だ。気合を入れて出立する。雪のすっかり無くなった登山道を歩いていく。昨日は疲れてバテバテだったが、朝一となると流石に元気でガンガン進める。天法輪岳を過ぎ、その先の倶利迦羅岳の付近か手前か、鎖場が何ヶ所かあった。でも何も問題はない。斜面の下に鹿が数頭いて、駈け去っていく。今日越えていく山並みが見え。振り返ると釈迦ヶ岳も見えた。
歩いていくと犬の吼える声が聞こえる。こちらも笛を鳴らした。少し前に歩いているらしい。追いつくことは出来なかったけど。行仙岳手前の怒田宿跡はキャンプが快適に出来そう。水場もあるらしかった。行仙岳の登りはまあまあしんどい。山の下にはアスファルトの道路が見える。登り終えてNTTとNHKのアンテナの立つ行仙岳に着く。ふぅ。ここなら携帯電話も入るだろうと様子を見ると入ることがわかった。家に電話。母は「食料燃料足りているか?」と言っていたが、十分足りていると話しておいた。ついでにもう一件電話。随分心配していたよう。ごめんな。
行仙岳から笠捨山に向かう途中、まず老夫婦に遇った。他の人に会うのは3/11以来。洞川温泉から縦走してきましたというと、驚いていた。その先で、おじさん+犬1頭にあう。笠捨山から別に延びる稜線は岩が出ていて、でも木も生えていて、奥秩父の鶏冠尾根みたい。登って面白そうかも。笠捨山の急登を登りきり、そして、ようやく玉置山がどれかを認めることが出来た。振り返ると遠くに釈迦ヶ岳。玉置山はまだまだ遠いなぁ・・・・・気を取り直して出発。
登山道の周りには杉の人工林が非常に多くなってきた。紀州の山だなぁと思う。葛川辻を越え、地蔵岳へ。この山はニョキッと盛り上がっているのだけど、鎖場だらけだった。荷物が重いので慎重に行動する。この辺で雪がべったりつくことはあまりないのだろうけど、雪がべったりだったらそんなに行きたい山ではない。山頂に着き、その先の巻き道のところが、登山道が崩れていた。崩れた土はまだ黒っぽかったから最近崩れたばかりなのだろう。落ちると谷にまっ逆さま。それはたまらないのでロープを張ることにした。空身でロープを引いていって登山道の上側の岩を通り、反対側に固定し、通るときはそのロープにカラビナを通して確保した。後続のためにロープを残しておくことも考えたが、この先も使わないという保証はないので、回収した。その先は鎖場はあるが、まあ、大丈夫だった。
危険箇所が終わって、一段落し、歩き始めると水場5分の標識があった。汲みに行く。5分以上はかかった。非常に細い流れだったが、まあくみ上げることが出来た。戻って、歩き続ける。夕方少し天気が崩れるとのことだったが、極弱い雪、雨が降り始める。歩いていると、突然、鼻血が出た。鼻血を出すなんて最近なかった。止まって止血。ナッツの食べ過ぎなんだろうか?貝吹金剛から先は道幅が急に広くなる。別に歩いていて楽しい道ではない。ただ、スピードは出せた。途中でビクトリノックスのスーベニアナイフが落ちていたので拾った。多少のアップダウンを繰り返しながら歩いていく。明日の天気がいいことがわかっていたので、今日は四時を過ぎてもとことんまで歩くつもりだった。
葛川トンネルを越えた先から、南奥駈道は何度か林道と接触する。時間は16:31だった。行く先の木に何かゴミのようなものが引っかかっていて、誰だこんなところにゴミを残していくのは、と思いながら近づいていくと、『青州へ』なんてことが書いてある。4時にここにやってきた云々と書いてある。両親が僕に食料を渡そうとやってきたらしい。十分あるって言っているのに・・・・わざわざこんなところまでやってくるとは。後で聞くと、両親は16:25までそこにいたとのこと。もしかしたら鼻血は両親とあわなくするために天が命じたものかもしれない、なんて考えてしまった。
水2㍑とビーフジャーキー、魚肉ソーセージ、チョコレート、ナッツ、リッツなどを受け取り、これで水を6㍑背負う羽目になるんだよな、とか思いつつ、歩いていった。すっかり人工林ばかりになってしまったけど、霧のかかった山々は幽玄の気を醸し出していた。
花折塚の少し先の登山道の左側にテントを張るいい場所があったので、そこに張ることにする。時刻は既に18時。今日は頑張った。乾燥野菜カレーを食べ、眠りに着く。玉置山までもあと一時間の距離。いよいよ熊野本宮が射程距離に入ったことが嬉しかった。

タイム
5:55@平治ノ宿 〜6:50@倶利迦羅岳 7:00〜8:15@行仙岳 8:27〜9:26@1170mピョコ 9:35〜10:35@笠捨山 10:50〜11:35@地蔵岳手前 11:40〜13:00@地蔵岳終わり 13:10(水汲み)13:40〜14:15(鼻血)14:25〜15:10@貝吹金剛 15:20〜(休憩2回)〜18:00@花折塚先サイト

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