休日

朝、ゆっくり寝ていた。寝るって気持ちいい。でも、寝過ぎるとそれだけで時間がなくなり、極たまに少々の自己嫌悪。無計画でいいのは、時間がたっぷりあるときだけ。そうでないと、本を読むことすら、しなくなる。曜日を意識するなんて、久しぶりの感覚。大学4年〜大学院では、せいぜいゼミのあった月曜日を意識したぐらい。土日休めるというのははっきり言って大分楽。でも、土日以外で休めないというのは、いろいろな面で不便だ。住民票の届出、他各申請書然り、銀行の通帳作り然り。住んでいる建物のすぐ横に中学校があって、休日だか、やって来る生徒も見える。平日は見えている廊下に人溢れるのだろうな。目の前の(20〜30mほどしか離れていない)その学校の屋上には、天文台があって、いつもシルバーの小さなドームが、日に輝いてきらきらしている。平和なひととき。
朝から風呂に入る。昨日はアイロンのスイッチがいつの間にか入り、ヒヤッとしたが、今日は風呂沸かしの火を消し忘れていてびっくりした。洗濯機は風呂水が使えるタイプなのだけど、お湯を吸い取っていくとそのうちカチカチ言い始め、気がつく。水をかけるとジュージューなって、空焚きしていたのは少しの時間だったのだけど、結構反省した。
箇条書きにしていた日記を何とかつなげて文章にする。削る項目もたくさん。仕事のことは書けないし。
ゆで卵を作った。卓袱台の前にぽつりと座り、昨日貰った塩をつけて食べる。部屋が広いというのはいいことだ。大学時代はずっと狭い部屋(ある意味十分満足なのだけど)に住んでいて、今のように部屋三つを一人で占有なんてことはなかったから、そんなに部屋にいることが好きじゃなかったけど、今は無駄にだらだら部屋にいるかも。いろいろ思い悩む事があっても、部屋が広くて空も広いと、やがて拡散していく。一番いいのは、誰もいない展望抜群な山の上か、太平洋を見渡す海辺。風の音、夜の静けさ、波の音、そうしたものが、全部どこかへ何かを持っていってくれる。
昭和38年建築のこの建物、この部屋。今までどういった人がここで過ごし、旅立っていったのだろうか?古い家の持っている記憶。何気ない柱の傷跡。見上げる白い天井。きっとここで幼少を過ごし、今、どこかで家庭を築いている人がいるのだろう。幼き時から過ごした場所。そこに戻った時に感じる安堵、そして原点。借家はそれが出来ないのが悲しいな。住んでいる間は、写真なんて撮っておく気はあまりしないのに、後で、何気なく撮った写真が、ただ懐かしい。机の上には、高校時代の写真が焼き付けられたマグカップがぽっつり。そこにいる自分と今いる自分はつながっていて、ただ、こちらを見ている高校時代の自分は、今がまったく未知で、当時はそこが世界で、その中で喜怒哀楽があって、その中に夢があった。
夕方、研究室の先輩で、川関係の調査(多摩川調査)をよく一緒にやった人の結婚お祝い会に出るため、新宿に向かう。こちらの人数が多くて、研究室の同窓会のような雰囲気になってしまっていた。いや、めでたい。共通の趣味はないらしいのだけど、どこか気が合うのらしい。幸せに!!
中華料理を食べ、その後店をかえて、飲む。3月末に修了して同じく社会人一年目の元同期とも話をし、みんなそれぞれだな、と月並みだけど、感じた。昨年にもう就職してしまった元同期は、今は東京に戻ってきていて、話をしたけど、何も変わったように見えない。新しいバイクを買って納車が三日後、と言っている。こいつと二人で屋上から隅田川の花火を眺めたこともあったっけ。懐かしいな。
最近、いろいろ懐かしい病にかかっているのかも。新しい生活があるから、普段は鳴りを潜めているのだけど、ふっ、と出てくるノスタルジー。でも、それは逃避ではなくて、いろいろなことが、今の自分を支えているのだな、痛感させられる、瞬間。
日付が変わって家に帰ってきた。面倒で、風呂に入らず、そのまま寝た。

気がつけば、あっという間に、四月は終わっていた。