帰省

銚子川の今に泣いた

朝一の新幹線に乗るため、家を五時前に出た。従兄弟が結婚するのだけど、その披露宴に出るため、今週末は三重県に帰省。いろいろ疲れが溜まっているから、流石に眠くて仕方がない。「日本の味博覧」という愛知万博記念の駅弁を食べつつ、新幹線に揺られる。グーグー寝ていて、危うく名古屋を寝過ごすところだった。ワイドビュー南紀1号に乗り換え、実家を目指す。車窓から見える水田の緑が眩しかった。
駅に着くと、母が車で迎えにきてくれていた。実家は三月の学位紀授与式前日以来。そんなに時間が経っているわけではないけど、やっぱり懐かしい。家のリフォームをしている最中だったのだけど、その工事に地元の友達のお父さんが来ていて、話をする。家では猫と戯れ、落ち着く。毛が抜ける季節だから、撫でていたら毛だらけになった。
昼ご飯にシジミの味噌汁を食べる。今年は大漁だったらしい。なんでも、台風で土砂が流れ込んで今年は駄目だと言っていたのだけど、逆にいろいろなものが流れ込んだおかげで栄養分が豊富だったとか。身がたっぷりつまり美味しかった。
昼から、川に泳ぎに行くべく、家を出る。鮎の解禁は6月1日なのだけど、今年は、昨年の台風の影響で川は変わり果てていて、その様子を川の中から見つつ、鮎を追いかけようと考えていた。台風で傷ついた川の回復過程を追いかけたかった。車を運転して赤羽川の三戸に行くと、道路工事中で奥に行けない。川は土砂のかき出しか、濁っていた。重機が並ぶ。これじゃあ、泳げない。悲しみに暮れる。仕方がないので戻る。でも、せっかく来たので、反対側の支流、の上流、下河内に行く。ここは、山里ととして何か素朴な産業を興せないかと今試行錯誤しつつあるところ。2月の初めにも訪れた。ちょうど蕎麦の刈り取りをしていて、その様子を見学、その後、少し話をする。刈り取った蕎麦を見せさせてもらった。70kg分。積みあがった蕎麦の中には虫、カエルがたくさん。中に手を突っ込むと醗酵しているのか、温かい。今は伊勢新聞社にいる北村博司さんが取材に来ていて、話をする。以前発行していた紀州ジャーナルは毎号読んでいた。原発に関する本も書いている。その現場で地道に取材し続けた姿勢を尊敬していた。向こうも僕のことは知っていたみたいで、でもなかなか会えなかったのだけど、ラッキーだった。マスコミについて今度いろいろ教えてください、と話すと、マスコミ操作術をか?とにやりと笑う。今度帰省したときにでも遊びに行かさせてもらおう。
赤羽川で泳げなかったので、隣町の海山町にある清流、銚子川に向かう。この川は大好きだ。昨年の八月に来て遊んでいる。が、2月に訪れたときに、台風でズタズタにされていたので、この川の回復過程を見たくて、やって来た。国道から銚子川沿いの道に入り、唖然とする。川の至る所に重機が並んでいた。川を掘り起こしている。濁った水、泥、ズタズタの川原・・・。又口川を分け、本流を進むが、すぐに通行止め。昨年、泳いだ川原は、ダンプカーとショベルカーが並ぶ。濁った水、魚たちは、どうやって生きているのだろう??台風のダメージで、ただでさえ、ズタズタなのに、追い討ちをかける様な河川工事。回復するのはいつになるのか、しかし、ここまでボロボロにしたのは何なんだ?ここまで川を荒れさせた原因は?植林された山々を見ながら、唇を噛み締める。
深く傷つきながら、往古川に向かう。ここは大台林道が走っていて、上流部に行くと落差100m程の小木森(こごもり)の滝等があり、楽しい場所。滝の落ち口に行けるし、上流部は釣りも出来るし、泳ぐ場所もある。が、林道の入り口でこちらも工事中で通行止め。言葉を失う。
あまりに悲しかったので、豊浦海岸に行き、波打ち際で一人、ぼんやり座っていた。
故郷はいつも誇りに思っている。今の自分の中にあるいろいろな思い、そうしたものを形作って来た場所だから。そこには、やっぱり自然があった。畏敬を抱く、美しい自然。特に大台・大峰山系に強い畏敬。帰省してチャンスがあれば、訪れている(ex.大杉谷父ヶ谷、大和谷、大峰山、etc.)。東京にいる時も、どんな時も、もちろん故郷の山川海に限らず、どんな時も流れ続ける水がある、自然がある、そう考えることが、辛いときでも、心の支えになっていた。今回の従兄弟の結婚式の為の帰省も、そうした支えに触れたくて、楽しみにしていた。もちろん、昨年の台風の被害はよく知っていたから、それなりの覚悟はしていたのだけど。でも、ここまでは思わなかった。こんなに工事がなされているとも。美しい自然を失ったら、田舎の誇れるものなんて何が残るのだろう?文化か?それは多かれ少なかれその土地の自然に依存しているものだ。東京にいる友人を田舎に誘いたいな、とよく考える。でも、銚子川と赤羽川の死んだ田舎に呼んでも仕方がない。回復するまではお預けか、悲しい。自分に何が出来るかなんてわからないけど、故郷に誇りを持ち続けていく上で、何が大切なのか、そうした信念のようなものを再確認した一日だった。
夕方、家に戻ってきてから、携帯電話の名義変更に行く。夜は、津に住んでいる弟を迎えに、我が家の中古オープンカー、ユーノスロードスターで行く。弟に会うのは正月以来だ。背がまた伸びていた。帰り道はオープンにして走ったが、田んぼからの草の香りが、どこか懐かしさと切なさと。高速道路をオープンにして走る爽快感。スピードメーター、タコメーターを見ながら、今日はいろいろなことを感じたなぁ、とぼんやり考えていた。
家に帰ってきてから、遅い晩飯を食べ、日付が変わってから寝た。くたびれ果てた一日だった。