択捉島

朝起きると択捉島についていた。今回の北方領土訪問の間、ずっと天気が良かった。こんなにも天気がいいことは本当に珍しいらしい。国後水道を通るときも揺れるには揺れたが、大したことはなかったと聞いた。外に出る。散布山(1587m)が夜明けの太陽に輝いていた。着いたのは、紗那という町。
択捉島。来てみたかったんだ。
はしけ船が遅れ、一時間遅れで出発。港で目立つのは、座礁船。港を覆うようにあり、これまでも防波堤代わりとなっていたのだけど、それに土砂を運び込んで本当に防波堤にしてしまう工事が行われていた。水産加工場があり、カモメが溢れていた。
上陸。
昨日と同じく、三名ほどで一台の車に乗り込み、移動。この島も舗装率は0%。埃っぽい道を行く。昨日訪れた国後島よりも、乗っている日本車が新しい。島の経済状況がいいのか。多いのは、トヨタランドクルーザー、三菱のパジェロ、日産のテラノ、いすゞのビッグホーン、後はワゴン車の類。巨大トラック(形がどことなくザクっぽい)を除いて日本車ばかり。でも右車線走行だった。もっとも車線はどこにもなくて、幅広い道の右側を走っているだけだけど。
少し走って、行政府に行く。そこでカルプマン行政府長に迎えられた。行政府は川の近くにあって、川では遡上してきたカラフトマスの漁が最盛期を迎えているようだった。
その後、移動。遮那日本人墓地に行く。みんなで鎌を持って、墓場の草刈。小一時間草を刈って、随分すっきりとした。日本の墓場と違って、森の中に溶けていくような墓は、果たして草刈してしまう必要があるのかと思いつつ、草刈を終えた。記憶を残していくために、そして生きた証。墓石は、家の土台に使われてしまったものもあるらしく、今ある墓石とそこに眠る方が一致しているかはわからないということだった。何も刻み込んでいない石もあった。そこに線香を添える。
ロシアの方の新しい墓は、人の大きさの新しい土があった。土葬と聞く。掘り返された土に新鮮さを感じた。
行政府の前に戻ってきて、島民の方々と交流のための運動会をやった。飴玉探しゲーム、二人三脚、パン食いレース、玉入れ等。その様子を写していく。小さなお子さん、少年少女、大人も、そんなに多くはなかったのだけど参加してはしゃいだ。
国後島択捉島共に、野良犬が非常に多かった。が、全然怖い犬はいなかった。犬がいると捕まえてジャレていたが、どの犬も大人しかったな。
日本側が準備したゲームに加え、島民の方々が準備してくれたゲームをやった後は、ホームビジット。僕は元択捉島民であるミカミさんと、モチノ君と三人で、シェルビニナ・スベトラーナさんの家庭に訪れた。家は、どの家も外観はかなりぼろいイメージを受けるのだが、中はきれいだった。スベトラーナさんの家には、大画面薄型液晶テレビもあり、そこそこの生活水準なんだと思う。月給はそれでも、日本円で3〜7万円ぐらいだろうか。元職場の同僚という方が二人応援に来ていて、豪華な食事を頂く。ジャガイモ料理の塩加減が絶妙で美味しかったなぁ。ウォッカを注がれ、飲む。飲むとすぐに注がれて、「チュッチュ(少し少し)」と言いながら、結構飲んだかも。通訳さんが来たときにいろいろ話をした。ミカミさんは昔の話をしてくれた。ミカミさんは会社勤めの研究者の方(今は役員かな?)だが、インテリでその人柄もあって、非常に面白い話をいろいろ聞けたのはラッキーだった。通訳の方が他の家庭に行った後は、会話が急に少なくなったが、それでもいろいろ話をしていた。家には、「ご主人」と呼ばれている犬がいた。歳は12歳ぐらいとか言っていた気がした。ボクサーに似た犬だった。当のご主人は今は仕事で外に出ているらしかった。
ベランダに案内してもらう。なかなか素晴らしい景色だった。
行政府に戻ってくる。酔いつぶれてしまっている方もいた。二軒だけ残っている日本家屋を見る。その一軒、紗那郵便局は、1945年8月28日にソ連軍が択捉島に進軍してきたときに、根室の落合にその旨連絡した場所だ。紗那から約30kmはなれた留別に上陸したソ連軍はすぐに留別の郵便局をおさえ、通信手段をおさえた。がその状況を何としてでも本国に伝えなければと、ミカミさんのお父さんはソ連兵の監視をかいくぐって、馬に乗ってここ紗那までやってきて、ここから無線で本国への連絡をお願いしたらしい。当時7歳ぐらいだったはずのミカミさんがその様子を語ってくれた。
たった61年前、ここは戦場だった。もっとも、ソ連軍が来たのは、終戦の日を過ぎてからだったから、交戦はなかったが、ここを含め、世界中が戦場だった。真珠湾攻撃の際に連合艦隊が出港したのは、この択捉島の南側にある単冠湾(ひとかっぷわん)だ。一世紀も経っていない、その中にある歴史。もちろん今も様々な紛争が起こっていて、悲劇は繰り返されているのだけど。
この島々の自然を見ながら、ここも戦場であったことをずっと考えていた。
日本家屋の見学の後、買い物をした。お土産に紅茶とジャムとビールとジュースを買った。アイスクリームを食べた。
そして船に戻ってきた。
目の前には散布山があった。
船の中で夕食を食べた。昼に大量に食べた後だったので、結構苦しかった。疲れもあったのだろうか、夕食後早々と眠りについてしまって、そして起きなかった。