国後島

朝五時半にご飯を食べた。甲板に上がると国後島が目の前に広がっていた。古釜布の町以外は、人工物が見当たらない光景。日本の開発し尽くされた自然を見ては唖然とし続けている中で、この光景は嬉しかった。もっとも、近くに寄ってみると、必ずしもそうとは限らないこともわかるのだが・・・それでも日本とは比較にならない気がした。船の周りにはクラゲがたくさんいた。七時を過ぎて、はしけ船「希望丸」がやってきて、国境警備隊関係者が乗りこみ、入域手続きを行った後、はしけ船に乗り移り、国後島へ。廃船がたくさんあって、朽ち果て、そして海鳥の止まり木となっていた。港の手前は非常に浅く、海面下には海草が揺らめいているのが良くわかる。水質はそんなに良くはなさそう。浄化されずに流されているとのこと。
港に上陸する。車が多数来ていたが、巨大トラックを除き、日本車以外の車を見つけることが出来なかった。港には「第三十一吉進丸」が係留されていた。船首にある傷は弾痕だろうか?
舗装されていない埃が舞う道路を走って、日露友好の家、通称「ムネオハウス」に行く。そこでコーワリ地区長の歓迎等を受ける。それから3班に分かれて出発。僕は材木岩という柱状節理のある海岸に行く班になった。
まず道途中にある国後島の墓参り。海岸近くの墓地に行く。ロシアの方々に混ざって日本の方々のお墓があった。ロシアの方々のお墓は面白くて、顔(写真)が墓石に刻み込まれていた。日本の方々のお墓はひっそりと立っていた。線香を添える。
その後、材木岩の海岸へ。途中の道路は全て未舗装。そして幅広く取られた道路の法面は、赤土が崩れていた。天気が良く、海岸には海水浴に来ている人がいた。そこから約40分歩いて材木岩へ。対岸には知床半島が延びる。岬、知床連山をはっきりと確認することが出来た。浜辺にはハマナスやチシマフウロトリカブト(チシマトリカブト?)が咲いていた。チシマヨモギがたくさん生えていたが、これは葉の切れ込みが鋭いとの話をミカミさんから聞く。背後にある山は、シカがいないためだろうか、植生が廃れているとか、そんなことは全然なかった。植物がわかる人が行けばもっと楽しかったのだろうな。海岸線は人工物は少なくて、その光景は素晴らしいものだった。でも海岸にゴミがあるのは万国共通か?アルファベット、ハングル、日本語のゴミが流れ着いていたのも事実だった。
さて、材木岩に到着。見事な柱状節理。ここと知床の間に昔橋のかかっていたという伝説のあるところらしい。そこで昼食。お弁当は、バターライス、パン、トマト、キュウリ、直径5cmほどの太さのソーセージとシンプルだった。知床が間近に望めることから、携帯電話を取り出すと、圏内だった。電話もメールもできて、何名かに自慢電話をしてみた。
海岸線を眺める。人工物が見当たらない。絶好のシーカヤッキングフィールドなんだろうなと何度も思った。この海岸に限らず、国後島択捉島を訪れている間、この半世紀あまりの歴史ゆえ、残っているものが多々あったのだろうな、ということを何度も感じた。遠くの海岸を見ると人の群れ。川の天然温泉に行った後海岸に出るといっていた2班の人々に違いない。双眼鏡にデジカメをセットして、撮影。
材木岩で記念撮影。大人の遠足そのもの。そして来た道を戻る。海水浴の方の数が増えていた。トップレスの方もいた。暖かい日だった。
車に戻ってきて、それから一旦ムネオハウスに戻った後、今度は日本政府が作ったディーゼル発電施設に行く。そこは港を見下ろす丘だった。火曜サスペンスのクライマックスに出てきそうな風景。
ちょっと移動して、店がある一角に行く。その横はまた素晴らしい景色で、海岸線が連なっている。ニョキッとした岩はろうそく岩で、第一、第二とあり、第二ろうそく岩の方には時折ラッコが現れると言う話を聞く。その向こうには択捉島の島影、そして志発島が望めた。こんなに天気が良くて、島がはっきり見えるのは珍しいらしい。
日本で2000円を渡し、それを450ルーブルに換金してもらった。そのお金で買い物をする。あまり買うものもなくて、アイスクリームを買い、先に行った材木岩の海岸線に打ちあがっていたペットボトルと同じペットボトルを買った。肉は基本的に冷凍で、野菜もそんなには置いていなかった。缶詰が多かった。
町にいる子供はマウンテンバイクに乗っていた。少年が三人ほど周りをグルグル走り回っている。声を掛けると照れくさそう。そうそう、今回覚えたロシア語は以下の何点か。これで何とかなった。
ズドラーストヴィチェ(こんにちは)
オーチン プリヤートナ(どうぞよろしく)
ダスヴィダーニャ(さようなら)
スパスィーバ(ありがとう)
ハラショー(良い、Good)
ダー(はい)
ニェット(いいえ)
フクースナ(おいしい)
イッショー(もっと:ウォッカなど)
チュッチュ(ちょっと:ウォッカなど)
オーチン(とても:(例)オーチン フクースナ:とても美味しい)
後は通訳さんが訳してくれた。もらった北方四島交流用のロシア語会話集のテキストには、基本的な会話に加えて「北方領土問題を知っていますか」「日本人と一緒に住むことに不安はありますか」「島を出るときは辛い思いをしました」等の例文がならぶ。これはこれでいいのだけど、こちらから言うことは出来ても、それに対して聞き取ることは出来ないから、実際どのぐらい活用されているのかはわからない。
友好の家に戻り、交流会。テーブルにはジャガイモ料理、肉料理、魚がならぶ。ウォッカはなくて、ワインとコニャックがあった。まだ陽の高いうちからほのぼのと交流を楽しむ。
それからはしけ船「希望丸」に乗って、船に戻る。船では、まず靴底を洗った。検疫上の問題。錨を上げ、船は択捉を目指して進む。夕暮れの時間。国後の背後に若干境界を曖昧にしながら横たわるのは知床半島の山々。そこに夕日が沈む。何枚も写真を撮った。爺々岳(チャチャヌプリ)も美しいの一言。この山に登ってみたいな。山麓はヒグマが高い密度で生息しているらしいけど。開発の嵐に揉まれる前に、この島の自然が如何に貴重であるのか、それを示したいなと思った。
やがて月齢1ぐらいの月が古釜布の町の上にひっそりと輝きはじめた。海鳥の黒いシルエットが夕暮れの暗いオレンジ、青、そして紺色の中を横切っていく。気がつけば、天頂には星が瞬き始めていた。
船は択捉を目指して進む。すっかり暗くなる中、船首に立ち、進む方向にある随分と高い位置にある北極星を眺める。船の行く先の水面が、時折光る。船に驚いたイカが発行しているのだろうか。船に並行して飛ぶカモメ。早々に月は沈み、あるのは満天の星空。最近見ていなかった天の川を堪能、そして左手に横たわる爺々岳の存在感。
船が国後水道に入る前には寝てしまった。