キャンドルランタン

朝一の飛行機で東京に行った。
昨晩は、異動になるタナベさんと回転寿司に行った。美味しかった。小さな組織だし、また仕事でもきっと会うのでしょう。ありがとうございました。
東京は思ったよりも寒かった。でも街の緑は春を思わせた。
結局、キャンプ道具の買い物に行った。迷いに迷ったが、キャンドルランタンを買ってしまった。
ロウソクの灯が好きだ。小さな頃からランプに憧れた。食用油ランプを何個か作ったのを覚えている。木板に穴を開けタコ糸を通して芯として、木版をアルミ箔で包み、サラダ油を入れた空き瓶に浮かべると、炎は大きくないものの素朴なランプとなり味がある。サラダ油に沈めると火は消えるから安全だ。そして独特の香り。一度枕元で火をつけたまま寝てしまったら、見つけた母親に怒られたっけ。
秘密基地に憧れた。冒険に出たかった。周りがソフトボールのチームや、塾に通い出す中で、そんなものには行かず、裏山に行き焚き火を良くやっていた。スギの植林の中では、薪が豊富で簡単に焚き火ができた。親に言うと心配して怒るだろうから、黙っていた。一度だけ、うっかり1㎡ほど燃やしてヒヤリとした。自分の焚き火を過信していた。焦って半泣きになりながら踏んで火を消した。それは、小学校5年生の頃だった。もう15年も前の話だ。それ以来、火には慎重になった。
またある時は、焚き火をしていたら、いや〜な気配がした。ぞっとした。急にその場所にいることが怖くなった。何か音が聞こえた気がした。お経だったかもしれない。何かの囁きが聞こえた気もした。焚き火をしていて、そんなことは初めての体験だった。
その場所は、良く訪れていた。これまで恐怖を感じたことなんて一度もなかった。でも、そこで焚き火をしたのは初めてだった。
照葉樹の木々の木漏れ日の隙間から、何かに睨まれている気がしていた。
火を消して、一目散に逃げた。不思議なぐらい、怖かった。
後で、水の神様の祠があったことがわかった。確かめに行った時も怖くて、恐怖に駆られ、走って逃げた。今でもその場所には怖くて近づきたくない。いつかお供え物を持って、謝りに行かないといけないかもしれない。そう思いつつ、訪れていない場所。
焚き火が好きだ。大学時代は沢に行き、良く焚き火をやった。調査の時も良く焚き火をやった。心が落ち着いた。焚き火の技術は学び続けた。最初は石でカマドを組んだ。そのうちあまりカマドを組まなくなった。木の組み方は「井+三角形」型だった。大学になり、平行に薪を組む方法を覚えた。沢登をする方々は皆この方法だった。学んで、雨の日でも火をつけられるようになった。この方法は素晴らしい。以降、毎回この方法を試している。
精神を集中したい時に火を眺めた。忍者に憧れがあった。現代の忍者「若狭の鉄人」は、毎夜ロウソクの火を見つめ、精神を集中していると、テレビでやっていた。
食用油ランプの他に、空き缶で作ったキャンドルランタンも作った。そして、中学生になりイワタニプリムスのガス式のキャンドルランタンを購入した。
これが味があった。
ガス式なので、反則な気もするのだが、どこでも灯せる炎を見て、集中した。旅先にも持っていった。受験前も炎を見ていたっけ。大事な光だった。
大学に入った後も、旅に連れて行った。日本列島縦断自転車旅行でも連れて行った。大事な旅のパートナーだった。
が、大学1年の冬、ワンゲルの同期にうっかりキャンドルランタンを落とされ、ホヤが破損した。そして、もうそのランタン自体が廃盤となってしまっていた。
以来、キャンドルの炎を眺めることはなくなっていた。でも、いつもキャンドルランタンが欲しかった。でも、それを購入する余裕がなかった。あくまで嗜好品だった。高々4,000円弱のものなのだけど、もっと必要なものがたくさんあった。
この日行ったモンベルの横浜ベイサイド店では、二種類のキャンドルランタンが売っていた。そして、数あるキャンドルランタンの中でも、センスのいいものだった。普通のモデルと、ブラス製の物と。昔持っていたガス式のキャンドルランタンはブラス製だった。使い込むほど味があった。だが、重かった。今、手に取っているものはブラス製が252g、普通のモデルが188gだった。また旅に連れて行きたい。そう思い、軽い方を買うことにした。嬉しかった。
あまり実用的ではないかもしれない。優秀なヘッドランプがあるので、ランタンは必須装備ではない。でも、あるとぐっと旅が情緒溢れるものになる。長い時間灯す必要はない。寝る前に少しの炎のゆらめぎを楽しむ。ほんのりと灯る光。消したときの蝋の匂い。それは、ノスタルジーかもしれない。僕には大切な時間だった。