小楊子山を目指した一日

小楊子山

朝三時前に起きる。手早く準備を済ませ、薄手のダウンジャケットを羽織り、雨合羽を着てバイクに乗り、まだ真っ暗な中、小一時間走って淀川登山口に向かう。雲はなく、満天の星が輝く。気温はぐっと下がって、結構寒かった。
淀川登山口に駐車している車はいなかった。バイクを停め、着込んでいたものをザックに詰めて4:15に出発。まだ真っ暗な森の中を、ヘッドランプを点けて行動する。LEDの白い光が、森の小路を怪しく照らす。愛用のプリンストンテックのユーコンHLだが、もっといいものが各社から出ていて、時代は進んだなと思う。
淀川小屋では、テントを張った登山者が一名。まだ真っ暗なのでもう少し経ってから出発します、とのこと。その先は、登りが続く。たまに横の藪が騒いで、ライトを向けるとシカの目が怪しく光る。屋久島にはクマやイノシシがいないのが救い。ただし、精霊、妖怪の話はよく聞くので、実益と魔除けを兼ねていつでも刃物は持っていっている。
小花之江河手前で水平線が薄っすらと白み始める。花之江河の先で女性三人のパーティーを追い抜く。投石平のところで夜が明け、ヘッドランプが必要なくなった。森の中はまだ薄暗かったが、投石平から先は樹林限界上となり明るい。その先では、陽光がだんだんと屋久島の奥岳の峰々を照らし始める。美しい。普段こんな時間に樹林限界上にいないから、その景色を堪能する。
そして、左手に見えるは、目指している小楊子山。まだ光は差さず、薄っすらとしたピンク色に染まっている。昔は岳参りのルートがあったが今は藪になり、藪も背丈を越える笹薮で大変だよ、行くには丸一日掛かる、とだけは聞いているが、それ以上の情報はまったくない。宮之浦岳の一段下がった所(山頂まで3分ほどの距離)から尾根筋が延び、その距離は1.2km。距離的に考えて、行きはせいぜい4時間、帰り5時間程度かと考えていた。その考えの下、水を計画している。
翁岳、宮之浦岳の素晴らしい眺めを堪能してから、7:00に薮入りする1890mの地点に到着。腰には愛用の剣ナタ、手には皮手袋、長袖シャツを着て、藪に入る準備を済ませ、7:10に薮入り。久々の藪漕ぎに少々の武者震い。
天気良く、コンパスを切らなくても方向がわかる。最初は腰ぐらいの笹薮だが、すぐに胸ぐらいの高さになる。下りだからまだいい。笹薮の上りは三倍以上体力を消耗する。尾根筋に沿って南西方向に進む。ひたすら笹薮が続く。途中からピンクテープを付けて目印とする。たまに花崗岩の大きな岩があると得した気分になる。笹薮をこぎながら、下りはいいけど登りとなる帰りは大変だろうなと考えていた。
1830mまでは、笹薮の中をそんなに苦労せずに進む。1830mで岩場となり、岩の隙間を辿って下に下りる。その先も岩があり、そちらは岩の右側の藪を巻き降りる。結構濃い笹薮。巻き降りるなら全て右側から巻くといい。下りだからいいものの、登りだったら相当きついな、と何度も思った。そうしたことを考えているとどんどん憂鬱になってくる。
岩場が尽きた標高1790mでは、右手から沢の音が聞こえてきた。その先は1775mのコルとなり、標高1792mのピョコに登り返すのだが、その50mも満たないわずかな距離で大消耗。笹が背丈を越え、まったく何も見えなくなり、そこに潅木(ヤクシマシャクナゲアセビ等)が複雑に絡まって行く手を阻む。笹だけなら無理やり突破もできるが、潅木があると閊える。場所によっては一分間に1m進まない藪。藪の中に埋もれ、頭上1m上まで伸びた笹薮を見上げながら、笹をかき分けながら、潅木の枝の隙間に体を入れ、笹をかき分けながら潅木の枝の間を抜けた。これは大変だ・・・。
時期的にきついことは予想はしていた。笹薮漕ぎをするなら、春先ならまだ笹に勢いがない。今は夏にたっぷりと成長してまだ元気が残っている笹だから、非常に濃い時期。でもこんなに濃いとは思わなかった。いろいろな藪をこいできたが、屋久島のヤクシマダケの藪はゲロゲロ藪だった。シカ道があればまだ楽なんだろうけど、そうしたものがまったく見つからない場所だった。ヤクシマダケは細いが密生している。太いネマガリタケの藪を随分漕いできたが、こっちはもっと辛かった。
大分苦労して九時前にようやく1792mのピョコに着く。岩を見つけてよじ登る。スタート地点からまだ400m進めていない。こりゃ小楊子山まで行けないかも、と考え始めた。
1792mピョコから1735mの沢筋までの150m程の区間は、笹+潅木のゲロゲロ藪だった。最初は何となく踏み跡のようなものを見つけたので、嬉々としてそれに沿ったが、すぐにわからなくなった。笹だけの部分はかき分けながら何とか進むが、潅木の中に入り込むと辛かった。潅木の中では地面に足が着かず、枝に足を置いて進むのだけど、潅木の枝の全ての隙間にぎっしりと笹が詰まっているから、なかなか一歩が踏み出せない。と、枝から落ちて頭上50cmまで伸びる笹薮と潅木のジャングルジムの中に閉じ込められ、枯れた笹の粉末をたっぷり吸い込み、笹を何とかかき分け潅木の枝の上に這い上がり、次の一歩を目指す。そんな場所が何箇所も。下りでこれだから、登りは・・・と欝になる。
それでも必死でかき分けて1735mの沢筋に着く。トロリとした湿原の水が流れていた。と、手元を見ると剣先ナタがない!!!!!見ると、固定に使っていたゴム紐が切れてしまっていた。大学二年の秋に森林科学に進むことを決めた記念に、地元の鍛冶屋さんで寸法を指定して作ってもらった愛用の剣先ナタだった。沢登り・藪漕ぎの時は大抵持っていっていたし、大学四年から渓流の調査を始めた時もいつでも腰にあったものだった。かなりへこんだ。
藪漕ぎの際に、基本的には僕はナタで藪を刈り払ったりはしない。そうではあるのだけど、本当に濃いところでは刈り払わないと進めないときもあるし、そうしたときのためにナタはあると心強いし、魔除けの意味もある。特に怪我をしたりした時は通常の漕ぎ方ができないし。今通ってきた藪の稜線を見上げ、この中から戻って探すのは不可能なことを知る。残念無念。
その先、1740mの幅広のピョコに乗るところは、まだ楽だった。腰〜胸の高さの笹をかき分けていく。古い道の跡なのか、何となく地面が刈り払われたところがあるが、その上にはたっぷりの笹が覆っていて、あまり楽にはならなかった。ピョコの上には大きな岩があり、小さな岩屋を形成している。またテントを張るスペースもあった。岩の横の藪の薄いところをかき分けていく。その先は西方向に延びる尾根に乗らないように注意しながら西南西方向に延びる尾根をかき分ける。上の方は割とスムーズに進めたが、1700m付近から潅木の混じったゲロゲロ藪になり、まったく進まなくなる。小楊子山は目の前に聳えているのに、藪の中ではまったく見えない。
ゲロ藪をかき分け、11時に1680mのベロにたどり着く。1m×2m程の展望のきく岩の上で休憩。小楊子山まではここから1650mのコルまで降りて、そこから1700mまで登り返すと山頂だ。直線距離で言えばあと220mほどなのだけど、二時間はかかるなと思った。既に予定していた四時間は過ぎた。1650mのコルには水場があった。そこには花之江河のような湿原が人知れずひっそりとたたずんでいた。
疲労感の中、とりあえずおにぎりを食べた。地図で確認すると、既に原生自然環境保全地域の中にいた。原生自然環境保全地域を簡単に説明しておくと、「自然環境保全法」という法律で定められる地域で、木を切ったり、枝を折ったり、植物を採取したり、動物を捕獲したり、焚き火をしたり、落ち葉を持ち帰ったりすることを禁止していて、日本全国見渡して5箇所しかない場所。その場所にまではたどり着けたことは、とりあえず嬉しかった。
秋晴れの下、悩む。一泊二日の装備をしていると言っても、日帰り(藪区間)+予備1日のつもりでやって来ていた。この先さらに2時間行けば、今日中に藪抜けは絶対に無理になる。四時間で着くと考えていたところが実際は6時間かかりそう。そうすると帰りは8〜9時間か。さっきまで漕いできた藪を考えると、かなり掛かりそう。そうすると明日も丸一日掛かりそうだ。水場はあるが、あまり飲みたくなる水ではない。持っている水だけでは足りなくなる。明後日も仕事で山に行くし、無理し過ぎるのはタブーな気がした。そして、愛用のナタがないことも響いていた。ここに来る時は、一泊二日予備一日を考えたほうがよいと思った。少なくとも仕事を持っている以上はその覚悟でこないと。
小楊子山を前にして、残念ながら、撤退宣言をする。動画でその様子を撮っておいた。もう少しで撤退するのは、いつかの夏合宿の刃物ヶ崎山を髣髴させた。あの時も記録のないまったく人の入らない藪尾根を進んでいたよなぁ。あの時見た奥利根の山、森は、今も目に焼きついている。撤退は本当に残念だけど、原生自然環境保全地域まで来れたのは嬉しかった。そして、戻りの藪への不安があった。
11:45に覚悟して戻りにかかる。行きはピンクテープを随所に付けてきたので、それを頼りに進む。やはり登りはきつい。藪漕ぎの様子を動画で撮ってみた。全然前に進んでいなかった。1740mの幅広のピョコに着いたのは、12:35だった。一息入れる。日差しがきつい。消費する水の量が増えた。1735mの沢筋には13:00に着いた。ここからの藪が濃い。愛用の剣先ナタもどこかに落ちている区間。覚悟して取り掛かる。
きつかった。潅木が多く、そこでは笹が密生してまったく前に進めない。藪の中に埋もれ、目を凝らし、何とかかき分け、50cm進み、潅木の枝に押し返され、横の藪を強引に突破する。とまたズポッと藪の中に埋もれてしまい、頭上1mの笹の上にわずかに輝く青い空を虚しく眺めた。これはきつい。いろいろな場所を藪漕ぎしてきたけど、第一級レベルだった。これなら道に迷った遭難者が尾根に戻れなくなるのも理解できる。息を切らせ続けて笹の枯れ屑を吸い込み、疲れ果て目の前の笹にボーとした。気を取り直して進む。行きに打ったピンクテープが手の届かないところにある。やっぱり笹薮の登りは三倍きつい。昔は道があったという。その名残を見つけることが出来ればもう少し楽だったかもしれない。でも残念ながらそれは見つからなかった。わずかながらの踏み跡はあったのだけど、それを辿るとやがて潅木に阻まれ、迂回することになり、そしてまた踏み跡がわからなくなった。
かなり頑張って藪をこぎ続けて14:15に1792mのピョコに着く。ホッと一息。一番懸念していたところは越えた。聳える藪を見上げ、日が暮れる前に登山道に出るべくその先の藪に取り掛かった。
1775mのコルまではそこまで苦労せず、コルでは藪のトンネルに埋もれる。暗い世界。ガサガサと手探りで抜け出して、1790mの岩場の下までは、頭の高さの藪の中をガサガサと進んだ。14:35に岩の上に這い上がり、その上の岩場を見上げる。左側の傾斜のきつい藪を行くが、見るからにゲロ藪だった。
さて、と覚悟を決めて取り掛かる。頭上50cm〜1mに伸びる藪を両手でかき分け、両腕と膝を使って笹の上に何とか膝を乗せ、さらに笹の圧力を感じながら立ち上がる。その繰り返し。大分疲れてきていて、息を切らせながら上に進む。岩場が尽きる1830mには15:15に到着。懸念箇所は一応終わった。ホッとして、ポカリスエットをごくごく飲んだ。
ここから1890mの登山道との交差点までも、背丈の高さの藪に苦しむ。行きはそんなに辛くなかったのだけどなぁ。だんだんと太陽が弱まっていくのがわかる。そして16:15に無事藪抜け。安全なところに戻ってきたとホッとした。こんなに藪抜けが嬉しかったのも久しぶりだ。
両腕は傷だらけ。両脛、両太股、そして首にも細かい傷がたくさんあった。ザックも愛用のポシェットも布地が毛羽立っていた。愛用のスントの腕時計に傷がついてしまった。登山靴の革の縫い目が解れて、中のゴアテックスがむき出しになってしまっていた。でも、これが藪の満足感かもしれない。
とりあえず宮之浦岳山頂に向かう。素晴らしい眺め。夕方に山頂にいるのは初めて。いつも陰になっている花崗岩の峰々が、見事に輝いていて、それは本当に素晴らしかった。そして360度の展望。屋久島の山岳はもちろん、トカラ列島の口之島、中之島、隣の口永良部島、煙を吐く硫黄島竹島、黒島、種子島、そして遠くには九州本土の開聞岳大隈半島が見える。
宮之浦岳の少し下ったところの岩場の中にある祠に行き、小楊子山に置いてくる予定だった焼酎三岳の一合瓶をお供えし、山の安全を祈願した。祠から振り返ると、小楊子山が真正面に見える。無事で何より、そう思った。そして、剣先ナタが自分を守ってくれたような気もしていた。
夕暮れ迫る中、16:45に下山開始。登山口まで距離8km。山頂に泊まってもよかったのだけど、山小屋でキャンプしてくださいと普段言っている手前、それはなかなかやり辛い事だった。流石に疲れてたまにずっこけそうになりながら、歩く。上弦の月が白く輝き美しい。傾いた陽に照らされた翁岳が美しい。時間がないとわかりつつ、写真を何枚も撮った。遠くに黒味岳、でもその2倍以上の距離をこれから歩いて帰ることになっている。流石にバテ始め、ドライソーセージを噛み締め、アーモンドチョコを頬張り、元気を出した。
投石平付近で日が暮れ、黒味岳の分岐地点でヘッドランプを出した。木道を歩くと横の木にサルがいて大騒ぎを始める。急速に暗くなり始め、黒々とした峰々が西の空を縁取っている。小花之江河ではとっぷり暗くなった。ヘッドランプの光を眺めながら足早に下る。フラフラしていたのだけど、日が暮れるとハイテンションになりふらつきはなくなった。淀川小屋には誰も人はいなくて、シーンとした真っ暗な小屋の前で水を飲んで一息ついた。そして19:20に登山口に無事到着。頭の中は家に帰って冷えたビールを飲むことしかもう考えていなかった。
着込んでバイクに乗って小一時間、20:20に無事家にたどり着き、下山連絡し、シャワーを浴び(傷口が沁みた!)、黒生ビールのキリン一番絞りスタウトをカシュッと開けて頑張った自分に乾杯!!美味しかった!!!!
今日は登山道往復約6時間(距離約16km)+藪漕ぎ9時間(距離約1.8km)の計15時間行動だった。こんなに行動したのも久しぶりだ。日が暮れてからのハイテンションも久々味わったし。小楊子山には残念ながら行けなかったので、ほろ苦さを感じながらも頑張った自分には満足していた。
小楊子山を目指した一日が幕を閉じた。

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