国割岳登頂(川原2号橋〜川原沢〜国割岳 往復)

屋久島西部の孤高の名峰、国割岳。
屋久島が世界遺産に登録された理由の一つとして、海岸から山頂まで残された植生の垂直分布が挙げられるが、その垂直分布のモデル写真として使われる西部地域の写真の中央に写っているのが、この山だ。山頂には三角点があり、昔は道があったと聞くが、今は道はなくなりここに達するには、藪漕ぎまたは沢登りになってしまう。そんな山だから過去に職場の面子でこの山に行ったことがある人はいない。その国割岳に、今の職場にいるうちに現地確認調査のため是非行きたいと職場の方と話をしていたのだが、仕事で行く前に実際に行けるかどうかを見極めるため、休日に一人、様子を見に行くことにした。
様子見といいながらも、目指すはもちろん国割岳山頂。
そこに至る行程は、川原2号橋から入渓し、川原沢を遡行し詰め上げ、最後は藪こぎをして国割岳山頂に達し、その後同じ沢を下降し、戻ってくるというもの。
事前に得ていた情報は、ナカガワスポーツのH店長の日記の記述のみ。それを読み、そして店長から話を聞く限りではそんなに大変ではなさそうだった。しかし、地形図を見ると入渓点160mから1323mの山頂まで、わずか2.5kmの距離で1160mの標高差があり、これは結構な急登になりそうな予感がしていた。久々の沢登り、単独行、情報少なし、所要時間丸1日、急登、人に会うことはまず考えられない、他、久々体全面に緊張感が漲っていた。先月は悲しい事故があって、まさかあの人が…ということがあって、きっと一瞬の闇を見たのだと思い、悲しくてご冥福を祈るばかりなのだけど、この事故は危険度のレベルが全然違うとはいえ、自分の身にも万一のことは起こりうるということを再認識させ、それもまた今回の単独行の緊張感を増やすことになっていた。
山に入る時はほとんどの場合は緊急連絡先を設けている。大抵は実家となるのだけど、下山連絡リミットを設けていて、それまでに連絡がなければ警察に連絡するようにお願いしている。道の場合は予定が狂うことはあまりないので気にしないのだけど、沢・藪等のバリエーションでは、下山連絡リミットを何時にするかにすごく悩む。もし万一のことがあった場合、早く動いてもらうに越したことはない。でも、想定外に時間がかかることもあるし、まして情報のないところであれば何時間かかるかそもそもわからないこともある。また下山連絡リミットを気にして急いでしまって事故にあっては元も子もない。なので、大抵は予備日を付けて、翌日何時までに…とすることが多いのだけど、もし初っ端から怪我をしていたら辛い時間が続くことなる。そもそもそんな怪我しそうなことをしてはいけないのでそれは計画上しっかり練る必要があるのだけど、絶対はないので、万一の際のバックアップは必ず準備している。要するに、1.予備日を設ける等余裕を持って行動する(下山連絡リミットを遅くする)、2.万一の際には出来るだけ早期に動いてもらえる体制にしておく(下山連絡リミットを早くする)、そのどちらも安心・安全のためのものなのだけど、それはトレードオフの関係にあって、山行のレベルが上がるほど、あれこれ考えてしまって、どうしようかと深く悩むものになっている。
先に触れた四月の遭難事件は記事を読む限り、緊急連絡先は設けられていなかった。即死だった可能性もあるのだけど、もしもう少し早く捜索が入っていれば…と思う気持ちもあった。そんなこともあって、いつもは1日予備を置く下山連絡リミットを、今回は予備食を持ちつつ、当日の19:30までに連絡がなければ、とすることにした。現実には5/5の天候は雨なので、5/4のみとするのが妥当な気がしていた。今回は沢の往復なので、往路に何時まで使えるかが問題となる。そして、出来れば11時、最悪12時、というのが、結論だった。引き返し始める時間が遅くなればなるほど焦りも出てくるもの。時間ぎりぎりになればなるほど、先に進みたいという気持ちと、もう引き返さなければやばいという現実が頭の中を行ったり来たりすることになる。
前段が長くなった。
朝四時過ぎに起きて、まだ暗い四時半に家を出発した。単独行は今年に入ってからも何度もしているけど、単独行で出発前にこんなにも緊張しているのは正月の雪山縦走以来。昔は出発してしまえば後は何も怖くなかった。その感覚をはっきりと掴んだのが、中学校の終りに行った3日間の自転車旅行(一人旅)だった。旅の出発前には胸をかきむしりたくなる様な不安がいつもあった。でも旅・冒険に出てみれば、ふっ切れて、己を信じるしかなくて、己を信じて旅をかき分けていった。そしてそこには自由があった。やがてその旅路が日常となって、旅が終わる時に、旅という日常から、また旅ではない日常に戻っていく、その感覚が好きだった。でも、最近はそんなことなくて、出発してしまっても、まだ不安・緊張が残るものになっている。昔の自転車旅行と、今の雪山や沢の単独行を比較することがおかしいのかもしれない。でも、その時の僕にとっては、たとえ短期間の自転車旅行でも大冒険だった。その順々のステップの末、今の旅があるのだと思っているのだけど、いくつもの旅に出て、危険度のレベルが徐々に高いものも行くようになって(それでも命をかけるようなものは一つたりともしていないが)、そしていろいろな経験をして、経験からくる自信・安心感とともに、経験からくる怖さ・恐ろしさも随分と身にしみていることを感じている。旅は、怖いものより、楽しくて安心な方が嬉しい。そうでないと旅先での自然を楽しめない。でも、自分の挑戦できるギリギリのところで出くわした怖さが、後になって、また一つ経験したな、と思うことに繋がっている。何段ものレベル飛び越した旅なんていきなり一人ではできない。一人でおこなうからには、ちょっとずつのステップアップしかなくて、経験した怖さに麻痺して自信を持つのではなく、経験した怖さ・不安を分析して臆病なまでにそれを回避し、いざという時にはこれまでの怖さ・不安を超えてきたことを自信につなげて己を信じてなんとか乗り切っていくこと、それしかないと思う。
話が逸れた。
南周りに島を進み、西部林道にかかると先に霧の中に浮かぶ口永良部島を望むことができた。美しい。車を停めて写真を撮った。
川原2号橋には5:20に着いた。沢タビを履き、ハーネス・確保用具・ヘルメット等を身に着け入渓の準備を整える。まだ薄暗い中、高度計の高度を合わせ、気合いを入れてから出発した。
出発してすぐ、沢登りの感覚が懐かしくて感傷に浸る。そうそうこの感覚だった。傾いた岩に立って、沢タビのフリクションの具合を確かめる。最初に滝とは言えないが川全体の岩の塊があるが、これは右から簡単に巻けるのだけど、無理やり真ん中をいくと意外と足が届かずに苦労する。安全第一、そう自分に言い聞かせながら登る。沢の単独行では、捻挫ですら致命傷になりかねない。まして人が滅多に訪れないところではなおさら。次第にその怖さの感覚も取り戻して、とにかく慎重に進むようになってくる。なんでもない場所でのちょっとした滑りが、不安を増長させるものとなっている。
ゴーロ帯を進んでいく。ど真ん中をいけなくても、右か左をまいて進むことができる。傾斜は急だ。どんどん高度を稼いでいく。でも天然アスレチックを超えていくので、そんなに早くは進めない。そしていつも以上に慎重になっていた。
途中水が枯れたが、しばらく行くと復活する。300mのところで最初の休憩。ヴァームをごくごくと飲んだ。だいぶ明るくなってきた。復路を考え、ここからピンクテープを打っていくことになった。これが後で大変助かることになる。
休憩後すぐには小さな滝があって、これは左から巻いた。この先はどちらか悩むと左から巻けるところがチョクチョク出てくる。結構な巨岩・急斜帯になってきて、う〜ん、と悩みながらとにかく進んでいった。ゴーロ帯は細かなルートファインディングに気を使う。最初は巻道の入り口にだけつけていたピンクテープだったが、下りの困難さを憂えて、登った道を下りもたどれるよう、頻繁にピンクテープを打つようになった。
いくつかの巻きを超える。大きな巻きは左からもものが多かった。大岩ゴロゴロ。そして500mに達すると、垂直に落ちている滝が遠めに見えた。ぱっと見た感じ、右壁は急だ。時間が限られているゆえ、どこをどう越えていくのか、簡単に越えられるか、そんなことを考え始めると不安でいっぱいになってしまう。
滝の直下に行き、まずこの滝を登るのは無理だと悟って巻道を探す。左側には乾いた沢筋が走っているが、高さがあって迫力がある。その上段は傾斜がきつく、下段は最初の被った一段さえ超えれば何とかなりそうだが、その被った一段目は崩れそうな岩が積み重なっていて、これに取りつけば、事故るなと思った。左の大高巻きもパッと見ではルートが見つけられなかった。
さて、困った。ここに来るまでも想像していたよりも巨岩帯で時間がかかり、想像していたよりはずっと険しかったので、下りを憂え弱気になっていた。まずは滝にまで戻ってもう一度ルートを検討する。
滝自体は傾斜がきついが、滝のすぐ右横の上半分には灌木があった。そしてそれは滝上まで連なっていた。ここなら越える気がする、そう思い、右巻きを検討する。20〜30mほど戻ると、取り付ける点があって、そこをまず一段上り、そのまま滝のすぐ横までトラバースしてから滝のすぐ横の灌木にしがみつきながら登る。
左を見ると滝の岩盤を水が駆け下りていく。下を見ると滝下の岩が見える。落ちないように慎重に登る。登り切った後では大したことはなかったと言えるのだけど、登っている最中はその先もどうなっているのかわからないし、久々の高度感を感じていたので結構緊張していて、俺は何をやっているんだろう、と思いながら登って行った。
身長三つ分ほど登ると傾斜が緩くなり始め、ピンクテープを打ちながら先に進む。しばらく左岸側の小さな沢筋を進んでいたが、やがて巨岩の滝に阻まれ、今度は左側を大きく巻くことになった。巻き上がると標高650m付近にある右岸大スラブ帯のすぐ横に出た。道路から見える岩壁だ。まだ陽は陰っているがそれは美しいものだった。その横をすり抜けてしばらく巻いたあと沢筋に無事戻る。まだまだ先は長い、と気合を入れ直す。
しばらくゴーロ帯を歩き、出てくる滝は左に、そして右にと巻いた。750mで沢を分ける。どう巻いたらいいのか、先が見えないルートが出てくるたびに不安が募ったが、巻いたところは全てルートファインディングが的中して巻き直すことになることはなかった。相変わらずゴーロが続き、そのゴーロがより巨岩になってくる。800mを越えると水は随分少なくなった。途中水枯れは何度かあるが、細い流れは1200m近くまで残っていた。
傾斜がさらに増し、枯れた巨岩滝で越えられないものも出てくるが、左から巻くことができる。一か所、傾斜のきつい草付きの溝を登る場所があって、そこは慎重に登り、登り終えたところからスリップに気をつけながらトラバースして、一息ついた。
標高1000mに合流するクラック状のルンゼが美しい。岩峰も見えてくる。岩峰にへばりついたミツバツツジのピンクが美しい。沢の中にも日差しが差し込み始め、まぶしい。だいぶ疲れてきていたので、ヨロヨロと登っていく。傾斜はますますきつくなる。振り返ると川原(かわはら)の海近くの台地が、沢筋の木々の隙間から距離を持って見えている。だいぶ上まで上がってきたんだなぁと感じながら、ゆっくりと歩く。しかし、予定よりも時間はかかっている。何時に辿り着けるだろうか、もう面倒な巻きはないだろうか、そんなことを考えながら登って行った。
10時を過ぎて1120mのクラック状のルンゼを分け、ガレ場を詰めていくと藪が出てきた。その下にわずかに水も流れている。それほど濃くない灌木帯だが、岩を乗り越しながらなので若干手こずるところもあった。いつの間にか1170m付近に東南東方向から合流するルンゼに引き込まれていて、コンパスを北東方向に切り直し、灌木の中を進んでいく。浮き石がちょくちょくある。あと少しだから慎重に、慎重にと進んでいく。
1250mを越えると沢筋が不明瞭になり、そのまま詰め上がって国割岳の西尾根に乗った。対岸の岩峰、そして白骨樹がきつい日差しによく映えていた。暑い。夏バテしそうだ。ポリタンの水をゴクリと飲む。既に11時近くになっていたので、急いで国割山頂を目指した。
国割岳山頂へは、不明瞭な踏み跡を適当にたどりながら進んでいった。途中で初めての赤テープを発見する。カケスが林の中を舞う。しばらく進んだ展望のない灌木の中に二つ苔むした三角点があって、そこが国割岳の山頂だった。
国割岳に登頂!!嬉しかった。今回も小楊子山の時のように時間切れで引き返すことになるのでは、とずっと冷や冷やしていたので、無事辿り着けて感無量の気分だった。
山頂に他にあった人工物は目印テープが二つほどのみ。前後に踏みわけ道と言えば踏みわけ道があり、それがきっと昔の道だったのだろうと思う。
展望のない山頂で三角点と一緒に写真に収まった。そして出来ればまたここに来たいなと思った。
時刻は既に11:10を回っていた。のんびりしたい気持ちなんかは全然なくて、時計の針の動きが次第に焦りへと繋がっていく。巨岩がゴロゴロした急斜の沢を入渓点から1160m登ってここに辿り着いたが、ここはまだ折り返し地点でしかなかった。ルート上にピンクテープを打ってきたのでルートファインディングに悩むことはあまりないと思っていたが、急斜のゴーロ沢の面倒くささも知っているから、緊張感が再び満ちてきていた。
11:15、わずか5分程いた山頂から帰路に付いた。ピンクテープを辿りながら詰め上がった尾根筋を目指す。相変わらずきつい日差し。白骨樹がたくさんある。これには大陸由来の大気汚染物質が影響しているのだろうか?
灌木の中の沢状を下っていく。たくさんある浮き石を踏み抜き、一度は背負っているザックほどの大きさの大きな岩を転がしてしまった。鈍く大きな音を立てて落ちた岩を見て、集中、と思った。
行きよりも景色を楽しみながら下っていく。行きに付けていったピンクテープを全部回収しながら下った。回収したピンクテープでだんだんとポケットが膨らんでくる。この沢には目印等は何もなかった。それは、気持ちのいいことだった。
傾斜のきつい草付きの溝の場所は、今回持ってきたお助け紐(6mm×10m)では届かないのでメインロープを出して懸垂下降することにした。その後も落石に気をつけながら下る。二、三度スリップして両足を打撲した。ゆっくり行こう、そう思いながらゆっくり下っていく。段差が激しいから、膝を痛めていたら来たくない沢だと思った。
650mの右岸大スラブまでたどり着き、ホッとする。朝と違って今は日に照らされて輝いていた。ここを無事巻き下りると残りの大きな課題は標高500mの滝のみとなった。15時には越えたいなと思いながら下る。この滝は懸垂下降にするか悩んでいたが、結局メインロープは出さずに滝の横の灌木に沿ってお助け紐で何度か手がかり・確保をしながら下って行った。途中の急な部分で木の根がザックに引っかかり動けなくなり、どうしようもなくなったので、ナタで木の根を一本切った。申し訳ないな、と木に謝ってから、下った。沢筋に戻るところもお手助紐を手掛かりとして使った。
陽の光が沢に入るので、朝よりもずっと沢が輝いている。2〜3グループの猿の群れに遇って、僕に気がつくとその度にサルたちは大騒ぎしてどこかに行ってしまった。相変わらず沢は急でスリップに気をつけながら下っていく。何箇所かピンクテープの位置がわかりにくく、ルートを試行錯誤した。朝一番に休憩した標高300m付近に辿り着いたときは、あと半時間でつく、と安堵感に包まれた。ようやく気持ちに余裕が出てきて、猿の乾いた糞が転がっている岩場で少し長めに休憩した。
川原2号橋に戻ってきたのは、16時を過ぎていた。回収したピンクテープを入れたズボンのポケットはパンパンに膨れ上がっていた。随分とたくさん付けたもんだと思った。そしてこの膨らみ具合が、自分が今回感じた単独行への不安の程度と一致するのだと思った。
沢の中で沢道具を整理していると、橋を通り過ぎる何台もの車が見えた。人が込み合うゴールデンウィークの晴天の中、人の気配が薄い沢、そして国割岳に行くことができたことが嬉しかった。
車に戻り、ザックを片付け、帰路に着く。行きは南周りで来たので、帰りは北周りで帰ることにした。永田集落について、緊急連絡先の実家に「無事下山」の連絡を入れた。今日は永田集落からの永田岳・障子岳の眺めが素晴らしかった。後になってだが「屋久島の山岳(太田五雄)」という本を読みなおして、「(国割岳)山頂南はずれの露岩の上からは屋久島を横割りにしたように主稜の山々が一望に望まれる。特に永田から障子岳に続く障子尾根は圧巻で、屋久島でも最高の山岳景観を誇る」ということを知り、さらに調べると、「至宝の大自然屋久島(太田五雄)」にその写真が出ていた。この日そこに行っていれば確実に素晴らしい風景に出会えただろうなと思うと少し悔しかった。まあでもまた行くいい理由ができたし、今度はどんな場所か分かっているからもう少し余裕も持って行けるはずだと思った。
家に辿り着き、シャワーを浴びた。手足に刻まれた細かな擦り傷が沁みた。近くのスーパーでビールを買って、国割岳無事登頂・帰還を祝った。流石に疲れていたのか、すぐに酔いがまわってフラフラした。そこに年齢を感じた。
ゴールデンウィークのささやかな冒険が幕を閉じた。


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