東黒沢、ナルミズ沢 沢登り 出発


【3年前に書いたままアップしていなかった山の記録をアップ(2012/8/11)】
朝起きてから慌てて沢に行く準備をする。泊まりの沢ともなると約11ヶ月ぶりで、探しても出てこない装備もあり苦労した。
今回目指す沢は上越国境付近にある東黒沢、そして奥利根のナルミズ沢。共に8年前に訪れたことのある沢(PDF)だが、久々上越のブナの森にどっぷりと浸かってみたくて、またかの思い出の地を再訪したくて、この沢を選んだ。
今回の沢のパートナーは、沢に行きたい病にかかっている職場の後輩のタッキーさん。ワンゲル同期のマツナガも行く予定だったのだが、彼からは奥さまとの良好な関係を保つため、この連休は家族サービスに徹する旨連絡を受け、仕方がなく(?)タッキーさんと二人で行くことになった。山好きなうら若い素敵な女性と二人で沢に行くなんて、硬派な山男にとっては羨望のシチュエーションではあるが、この週末に所謂ご両家顔合わせ会をやった直後であるので、いくら相方は全く嫌な素振りも見せずに送り出してくれたものの、また過去にも何度か相方以外の女性と二人で沢や雪山に入っているものの、このタイミングであったので自分自身としては余計な気を使い、少々自己嫌悪に陥いり、また絶対に事故は起こせないないなぁ、と計画を立てながらかなり気を揉んだりもしていた。
一年前の今頃は、屋久島で単独で太忠沢、大川沢に登っていた頃だ。目を閉じ、耳を澄ませば、今も鮮やかに思い出す屋久島の水の流れ。転勤がある仕事故、いつまでもそこには留まれないことはわかっていたとは言え、もう後1年は屋久島に滞在したかったという思いがある。日記をずっと書いていなかったこの一年間、いろいろなことがあった。今の仕事の忙しさに忙殺され、屋久島の記憶は遥かかなた飛んでいきそうだが、時々写真を見返しては、そこにあった数々にドラマを思い出しては、懐かしさと、それ以上のことが出来なかった自分の至らなさを交互に感じながら、過ぎ去り日に思いを馳せている自分がいる。
そう、屋久島から東京に5月20日に戻ってきた。その直前のゴールデンウィークはひたすらに忙しかった。仕事を振るのが下手なのか、いろいろ受け持っては仕事が終わらない日々が続いていた。屋久島のために、自分に何が出来るのか、そう問い続けながら過ごし、岳参りから、携帯トイレ、小屋付帯トイレ、ウミガメ、シカ問題、ガイド制度他いろいろなことに手を出したが、少しは道筋をつけることが出来ただろうか?5/15付という不規則な人事異動のため、バタバタした状況下で屋久島を去ることとなり、最後のあたりは分刻みで物事が動いていた気がする。GWが終わった最後の12日間の中で、8回も送別会をしてくれた皆さまに感謝。屋久島最後の朝、住み慣れた安房の街並みを歩いた。あの時の空の青さが忘れられないでいる。愛用のバイクはオオサワさんに譲ることとなり、一緒に研究と旅を続けたバイクに最後に、ありがとう、ってつぶやいた時、バイクはきっと、またね、と言ってくれたと思っている。屋久島空港に見送りに来てくれた方々ありがとう。きちんと返事も出来ないままでいるけど、本当に嬉しかったです。飛行機が飛び立つ瞬間は流石にグッと来るものがあって、ただひたすら屋久島という場所、そしてそこで出会った方々、そしてその大地と生命に感謝しながら、目に涙を溜めながら離れ行く窓の外の屋久島を眺めていた。
東京に戻ってきてからは、急がしい日々が続いている。どうやら英語もある程度話さないといけないらしい。やばいなぁと思いつつ、久々の東京生活が始まったが、朝は七時頃起きてほぼ毎日終電、夜は二時過ぎに寝て、週一回は仕事が終わらずに帰れず、職場に泊まる日が続いていた。3年ぶりの東京で、職場の機構もすっかり忘れているし、かといって一年生のようには振舞えないし、勝手に自らプレッシャーを作り上げる日々を過ごしていた。そんなかんだで、とても山に行く余力気力はなく、先月8月下旬には出張でケニアのナイロビに行きキリンとシマウマと白サイとダチョウとイボイノシシなんかは見てきたものの、山には全然行っていなかったのだが、北海道・屋久島と過ごして長らく本州の山に登っていなかったので、段々と山に行きたい熱に駆られ、9/13に久々丹沢の勘七ノ沢にマツナガ、タッキーさんを誘って出掛け、崩壊が進んだF2でヒヤリとし、F5をリードしてスリルを感じつつも楽しい沢登りが出来て(翌日からの筋肉痛は凄まじかったが)、ますます沢に行きたい熱に駆られ、またブナの森を訪ねたい熱に駆られ、今回の沢旅を企画することになった。仕事は残っているが何とかなるだろう。
予定より遅れて準備を済ませ、昼前に家を出た。東京駅に荷物をデポし、相方と一緒に昼食を取るために地下鉄に乗って出掛ける。天気予報が悪くなり始めていたので、天候の心配も出てきて、気を揉む。その後は職場に行き、何時間か仕事をしてから、17:29上野発高崎行きの電車に乗って上越を目指す。座った隣の席のおじさんが話しかけてきて、沢登りのことについて長々と話をした。途中でタッキーさんが合流。高崎で乗り換え、水上行の途中までは混んでいたが、沼田を過ぎ、そろそろいいだろうと言うことでビールを開け、タッキーが作ってきたおかずを食べながら、明日以降の沢の壮行会とした。
水上で乗り換え、土合で降りる。階段を486段登って運動不足を実感しつつ地上駅に出ると、待合室では二名ほどが寝る準備をしていた。荷物をデポして、東黒沢出合まで歩く。途中のペンションの明かりが暖かく、そして眩しい。東黒沢出合の橋を渡ってすぐ左のところにタープを張って寝る準備を整える。奥には別グループがいて焚き火を楽しんでいた。天気次第では沢を諦めることも確認した後、22時ごろシュラフに包まって寝た。

※写真は翌日の東黒沢


※写真付き記録はこちら(お散歩観察会のページ)