雲取山縦走初日(三峯神社→雲取山荘)

朝5時半に目覚ましで起きた。
今週末は、今の職場の方々と4名で、雲取山の縦走企画を立てていた。事の発端は半年前の11月13日に奥多摩駅から今の職場の方々と六ッ石山を往復したことだった。山登りは初めてです、という女性×2を含む合計4名で行った六つ石山は、落ち葉積もる登山道をゆっくりゆっくり登って山頂で美味しい昼ごはんを食べるのんびりした山登りと称して、標高差1000mを往復したが、山頂を目指す道すがら、単独行の美人山ガールとすれ違っていた。たまたま他の方が追い付いてくるのを待っていた僕は、同じく登ってくる人に道を譲るために待っていた美人山ガールと話をすることとなり、どちらから縦走されてきたのですか?と伺ったところ、三峯神社から雲取山を越えて縦走してきました、とのお返事。その様子がなかなかかっこよかった。学生時代から奥多摩には何度も何度も足を運んでいるが、沢登りの下山路としての位置づけ以外で奥多摩の登山道を歩いたことのなかった僕(六つ石山で初めて登山道で山頂を往復する)は、その美人山ガールのさらりとしたお返事にかっこよさと奥多摩の山々の織りなす情景が重なって、奥多摩の一般的な登山道に対して急速に親近感がわき上がっていた。そして、同じく美人山ガールに強い関心を抱かれたテラオカさん(職場の上司)とともに、今度三峯神社から雲取山を経由して奥多摩駅まで縦走しようと話をしていたのだった。
その雲取山山行を職場で募集したところ、テラオカさん、女性二人(20代(うち1人は独身))、僕の4名からなるパーティーが出来上がった。さて、どんな山旅が待っているのだろうか。
7時前に池袋駅に集合して、無事4名が揃い、急行電車で出発。電車はゆったりと進み、9時17分に三峰口に到着する。その先はバスに乗ったが、混んでいて座席はいっぱいだったので、三峰口まで来てから乗り換えるよりも西武秩父駅でバスに乗り換えた方がいいと思う。
かつて通い詰めた奥秩父の道をバスはゆったりと進む。外は天気がいい。これは楽しい山になりそうだ。心配事と言えば、本格的な登山が初めてという山ガールデビューを果たす女性×2(昨年秋に一緒に行った前述の女性×2とは別人物)がいること、そのうちの一人が、昨年秋に高尾山に行った翌日は筋肉痛で動けませんでした、という話を先ほど電車の中で初めて聞いたことぐらい。荷物は十二分軽いし、大丈夫だろうと思う気持ち反面、動けなくなったらどうしようかという不安を感じ続けながら歩くことになった。
今回、その心配事に対処するため、4つの対策を考えていた。一つは、ストックを2ペア準備したこと、2つ目は、アミノバイタルをそれとなく進めて飲んでもらったこと、3つ目は、GWにトリイさんに渡してしまったバンテリンを買い直して持ってきたこと、4つ目は、随分と減ってしまっていたテーピングテープを買いたして3膝分のテーピングを巻ける準備をしてきたこと。結果としては、どれも大正解で、山が終わってから準備しておいてよかった、と胸を撫で下ろすこととなった。
三峯神社の駐車場に10時30ごろ着いて、トイレを済ませ、いざ出発。標高1000mからの出発。新緑がまぶしい。そして今回山デビューの二人の女性(以下、山ガール×2)も、あまりにもキマっていてまぶしい。僕が山を始めた13年前はちょうど中高年の登山ブームの真っ盛りで、若い女性なんてほとんど見かけなかった。それに比べて今の山の若い女性の元気さはすごいなと思う。今回の山行中、途中で何人もの単独行の女性に出会った。逞しいな、頼もしいなと思った。そしてたくさんの単独行の男性にも出会った。彼らの中にはきっと我らが山ガール×2に心ときめいた人もいたと思う。
最初はかなりのハイペースでどんどん進んでいく。ザックも軽いし、傾斜も緩いしこんなもんかと思っていたが、傾斜が急になってなかなかペースは落ちない。最初の休憩でテラオカさんが三峰口で買った草饅頭をいただく。その先もサクサク歩くが、やや苦しそう。要するにペース配分が分からないということなのだと思い、その後はペースを考えながらゆったり歩くことにした。
秩父宮レリーフが埋め込まれている霧藻ヶ峰の山頂では、登山者が20名ほどいた。昼食タイムとすることにして、銀マットを敷き、おでんを温める。早速ビールを二本あけ、おでんを食べ、楽しいひと時を過ごす。この昼食で、僕のザックは2.8kg軽くなった。ちなみに僕のザック重量は最初は23kgほど。テントも寝袋も持たない山なのに何が23kgも入っているのだろうと思いつつ、ゆっくりなペースだし、25kg以下で軽かったので今回の山は体力的には本当に楽勝だった。
その先はしばらく下って、お清平から先はやや急な登り返し。少し先には10名ほどの大学生のグループがコンパスとナイフと首からぶら下げ、大きなザックを背負いながらゆっくりと歩いている。浮き石があると、浮き石があります、と伝言されていく。かつて自分もこんな感じで歩いていたのだろうなと思い、懐かしさがこみ上げてきた。変わらないのは、今も自分はコンパスとナイフと笛を首からぶら下げて歩いていること。そしてぶら下げている細引きロープは大学1年生の時から変えていない(コンパスは2回壊して3代目、笛は2代目ですが・・・)。わずかな鎖場にはしゃぐ山ガール×2を見ながら、疲れさせない程度のゆっくりとした速度で上がっていったが、途中、この大学生グループを追い抜く。ゆっくりとは言ってもなかなかいいペース。でも少し疲れてきているようだったので、前白岩の肩から先は、山ガール×2にはストックを使ってもらうことにした。山ガール×2の一人は昔バレエをしていたと聞くが、その両手はストックをもつ前からまるでストックを持っているかのような軽やかなふわふわとしたふるまいをしていたのだけど、ストックを持った途端、10年前からストックを使いこなしているかのような動きをしていて、これは才能があるかもしれないと感心した。
歩く先の森は美しかった。奥秩父奥多摩のトレッキングルートがこんなにも素敵だとは思わなかった。標高を上げるにつれて、山桜が咲くようになった。時折アカゲラのドラミングが木霊する。
白岩山に着き、そこから少し下る。せっかく高度を稼いだのに、という声。山の縦走はアップダウンを繰り返す。ふと加藤則芳さんの「アパラチアントレイルの最初の900kmはひたすらアップダウンの繰り返して、ネヴァーエンディング アップダウンと呼ばれている」という言葉を思い出す。いくつもの峰々を越えていく、そんな縦走を長らくやっていなかったなぁと思いながら歩いて行った。
白岩小屋跡からは素敵な眺め。和名倉山が眼前に、奥に甲武信岳。大洞川の深い切り込みを見降ろせば、遥か下方の濃い緑からまだ枯れた山の上までの間、どんどんと新緑が駆け上がっていっている様子が良く分かる。標高1764mのこの辺りはまだ芽吹きに包まれてはいないが、振り返れば山桜が控えめに咲いていて、来春を告げていた。テラオカさん、山ガール×2の1人は、その広がる奥秩父の山並を写真に撮って、実は山登りが趣味だったことが発覚した今の職場のトップに、メールを送信し、山座同定を依頼する。広がる山並み。かつて訪れたことのあるピーク。遠くかすむ山脈。やっぱり山登りの醍醐味は雄大な景色にあるのだと思った。
白岩山に向かって登り返す。山ガール×2は流石に疲れてきたらしく、ゆっくりゆっくり進む。かなりゆっくり歩いたつもりだったのだけど、後から聞くと挫折しないぎりぎりの活かさず殺さずのペースだったらしく、着いていけないペースではないけれど、辛かったとのこと。白岩山で休憩した後、大ダワまでのトラバース道はゆっくりと下った。
大ダワに着いたのは16時だった。雲取山荘まであと一息。ゆっくり歩いて16:30に無事雲取山荘に到着。数多くの人でごった返していた。受付を済ませて、部屋に入る。とりあえずビールで乾杯する。割り当てられたのは8畳の部屋だったのだけど既に2名がいて、後から2名が入ってきたので、一人1畳なんですね、と話をしていたのだけど、晩御飯後に入ったらさらに4名が入っていて、なかなか狭い思いをすることになった。ちなみに僕は有人の山小屋に泊ったことは片手で数える程度しかない(過去は北アルプス尾瀬のみ)。
晩御飯はハンバーグがメインディッシュだった。80人ずつ入る食堂だが、今日は3〜4回転するということで、急かされて食べる。
晩御飯の後は、山小屋の外で薪を火種に揚げていた野草(ヨモギニセアカシア等)や野菜の天ぷらをいただく。そこにはフランスから来た方が何名もいた。何も日本に来て雲取山に来なくても、と思うのだけど、日本には既に三週間いて、各地の神社仏閣を訪れ、山に足をのばしているらしい。山小屋の方が天ぷらの解説に一苦労していたところ、今の職場の前はアフリカ大陸の一角で外交官をしていたという山ガール×2の一人が、可憐なフランス語で話しかけ、それにフランス人の方も和み、会話が弾み、本当に楽しそうに談笑されていた。話していた内容は天ぷらの話と日本の山についてなのだろうけど、春の訪れが目の前に迫った山上で、沈みゆく太陽を背景に行われた素敵な国際交流の様子に見とれ、他の三人はポカーンとしていた。語学がここまで出来るっていうのはすごいと思う。
その後は外のテーブルでテラオカさんが持ってきたワイン・ウィスキーを飲んだ。外にずっといると流石に寒い。19時を過ぎて部屋に戻ると、人数が増えていて、こたつも片づけられ、既に布団が敷かれていた。既に爆睡しているおじさんもいる。その部屋で飲み直す。
今日無事ここまで歩いてきたという高揚感が会話を弾ませ、楽しい時を過ごす。結局、テラオカさんが歩荷してこられたワイン1.8リットルとウィスキー350ccは、そのほとんどをテラオカさんと僕とで飲み干してしまった。早々に爆睡していたおじさんは、世界共通語である豪快な鼾をかいて気持ち良さそうにしていたのだけど、20時半を過ぎて足がつったと起き上がってきた。何やらバツが悪そう。でもこれが山小屋の思い出なのだと思う。21時に消灯となり急に電気が消える。その前にトイレに行き、歯磨きをする。残念ながら空は曇っていて、星はあまり見えなかった。
戻ってきて、部屋の中はせまいので、僕は布団を廊下に持ち出して、そこで寝ることにした。同じような考えの方が他にも2〜3名。おかげで、人の行き来で何度か目が覚めたものの、快適な夜を過ごすことが出来た。
初日が無事終わった。


※写真付き記録はこちら(お散歩観察会のページ)