雲取山縦走二日目(雲取山荘→雲取山→石尾根→奥多摩駅)

朝は3時に目が覚めた。3時半に電気がつく。この時間に電気がつくなんてすごい、と思っていたが、外に出ると電気がついているのは自分のいた部屋の他はあと一部屋だけだった。つまりは、昨晩21時の消灯の時点に電気を消していなかった部屋の電気がついたということらしい。混む前にトイレを済ませる。
ご飯は4時30分からだったのだけど、最初の組で食べたかったので4時過ぎには並んだ。25分から朝食が始まった。焼き鮭・生卵がついた和食で、豪華ではないけれど、美味しかった。ご飯をかきこんで、日の出を見に外に出る。赤い太陽が上がってきて歓声が上がる。日の出はいつ見てもいいものだと思う。その後は準備を進めて、5時20分にようやく出発。山ガール×2は昨日の疲れが残っていないか心配したが大丈夫そうだった。
雲取山まではまだ薄暗い森の中を歩く。5:45に無事東京都最高峰、雲取山(2017m)山頂に到着。少しだけかすんでいるけど、大展望。富士山が美しい。山頂で記念撮影。その少し先に避難小屋があるのだけど、景色はこちらからの方が良かった。ピンクのダウンジャケットに赤色の鮮やかなザックを背負った我らが山ガール×2の1人が遠く富士山を眺める姿はあまりにも良く出来過ぎていた。パチリと撮った一枚は山慣れした山ガールそのもの。それはとても素敵だった。そして、眼下にはこれから縦走する石尾根が連なる。その風景を眺めながら、山ガール×2の足が壊れないことを祈った。
この先は登山道がやたらと広い。防火帯として切り開かれ幅広くなっているのだと思う。小雲取山を越えて、雲取奥多摩小屋とヘリポートのある五十人平に到着。途中、Paagoのチェストバッグ、パスファインダーを付けた女性に追い抜かれる。今回の山行を通して、パスファインダーを付けた人は3名いたが、みな女性だった。ちなみに僕も持ってきていて、ウエストバッグで感じていた腰ベルトとの緩衝はなくて、思ったほどぶらつかず使い心地は上々だったが、Mサイズだと少し大きめのデジカメ(オリンパスxz-1)と双眼鏡(ライカ ウルトラビット8×20)を入れるとそれ以上はあまり入らなかった。いろいろ詰め込みたいならLサイズにするのも手かもしれない(大きいので邪魔になるかもしれませんが)。後は、ザックを下ろす時にカメラを地面にぶつけないように気を使った。
雲取奥多摩小屋でトイレ休憩を済ませ、ブナ坂を下った後、七つ石山に登り返す。途中の富士山と山桜と新緑のカラマツが織りなす景色が素晴らしかった。山ガール×2の一人がお疲れモード。太腿上部の筋肉が痛むらしく、バンテリンを渡すと痛みが和らぎました、と少し元気になった。七つ石山山頂からは雲取山が良く見える。
その先の高丸山、日陰名栗峰は南面を登山道に沿って巻いた。この巻道が案外長かった。人の幅の快適なトレッキング道なのだけど、風景としては割と単調だった。鷹ノ巣山避難小屋でトイレ休憩。今回の最後の本格的な登り返しとあって、ここからは尾根上の防火帯の幅広の登山道をゆっくりと歩いた。山ガール×2の一人も、頑張ります、と言ってゆっくりと登っていった。
鷹ノ巣山には9:55に到着した。展望は素晴らしかった。少し早いがここで昼食とする。銀マットを広げてストーブを出し、お湯を作る。まずは焼酎のなっちゃん割り(オレンジジュース割)で乾杯。その後は、お湯割り。ラーメンを作る間、焼き豚やホタテの缶詰、ミックスナッツ、アップルパイをつまみにして、山頂で居酒屋気分を楽しんだ。朝方は薄曇だったが、天気が非常によくなり、日差しがきつくなった。もう夏を感じさせる日差しの下、ラーメンを食べて、コーヒーを飲んでから出発。
この先も防火帯として切り開かれ幅広くなっている(と思われる)登山道が続いた。見通し良くて都市公園のよう。下草が全然ないのはシカの影響だと思う。30年以上前に奥多摩を良く歩いていた職場の上司に写真を見せたらあまりにも下草がなくてすっきりしている様子に驚き、不気味がってすらいた。快適ではあるのだけど、何かがおかしい。これが、今の日本の山々の現実。
水根山、城山を越えて、少しだけ急なところを下り、しばらく歩いて、六つ石山に向かって軽く登り返す。六つ石山はバテ気味の山ガール×2を置いてテラオカさんと二人で往復した。往復7分。半年前に立ったピーク。あの頃は、先が見えない(が締め切りが目前に迫っていた)制度要綱作りにもがき、そして苦しんでいた。10月〜年内は連日朝3〜4時頃まで議論・作業をしていた。その苦しさも今は良い思い出に代わって、ただ、ただ懐かしさがそこにはあった。
六つ石山からの下りは最初はサクサク進む。半年前に美人山ガールとすれ違った場所では記念撮影をした。その先で山ガール×2の一人が左膝が痛み始めたというのでテーピングをすることにした。テーピングを考えた人はすごいと思う。
山で初めてテーピングの威力を知ったのは、2001年5月。その年の4月に膝を壊した僕は、それにもめげずに沢に行っていたのだけど、奥多摩の沢の遡行し、隣の沢を下降する途中で激痛に見舞われていた。あまりにも痛くて杖を作り顔をしかめながら下っていたら、先代の主将であったマッハさんが、テーピングしたらいいよ、筋肉の代わりになってくれるよ、と言って右膝にテーピングを施してくれた。それまでテーピングなんて患部を固定するだけのものと思っていたのだけど、歩き始めてすぐにその威力と機能に感銘を受けた。着地して膝が曲がり膝に痛みを感じる直前のところまで曲がったところで太腿とすねの間にわたされたテーピングにテンションがかかり、膝を支える筋肉となって痛みを感じさせない。この時は本当に感動して、下山してからテーピング方法を一通り頭に入れた。
テーピングをするときに気をつけるべき点と言えば、最初から曲げ過ぎると効果が薄れるので150度よりも曲げた状態で固定しないこと、あと基本的に男性の足はすね毛が生えているので後でテーピングをはがす時に苦しむので出来れば剃っておいた方がいいことぐらい。後者については、女性の場合は楽だと思った。
その先はサクサク下った。山を下るに連れて、どんどん緑が濃くなる。高いところでは閉じこもっていたミズナラの葉もしっかりと芽吹いていて、そのユニークな形に心がいやされた。半年前に歩いた道なので、前はここで休憩した、ここでどんな人に出会った、なんて話をしながら下った。ゴールはもう少しだった。山ガール×2も元気そう。今回二人はこのために登山靴(スカルパ、キャラバン)を購入しているのだけど、マメもできることなく歩いてきていた。自分が初めてザックを背負って1泊2日の30kmの山旅に出た時とは大違いだ。あの時は随分と痛めつけられた。そんな感慨にふけりながら、一歩一歩を大切に下った。稲荷神社に立ち寄って山の安全を祈願し、また無事終わりそうなことを感謝した。そして無事登山道から車道へ。その後また登山道に戻って、羽黒三田神社に参ってから、無事車道に舞い戻る。そこから奥多摩駅へはゆっくりと歩いて行った。
奥多摩駅には15時に着いた。温泉は混んでそうだったので、新宿で打ち上げをすることにして、缶ビールだけ買って15:26のホリデー快速奥多摩に乗る。電車の中でささやかな乾杯。その後は皆熟睡していた。17時頃新宿について、ビアホール ライオンでさらに1リットルのビールを飲んで打ち上げ。そして解散。みなさん、ありがとうございました。
奥多摩の山を真面目に縦走したのは初めて。これまで自分が行ってきた登山とは違うけどそこそこ楽しかった。難しいところは皆無だった。今度は嫁さんを誘ってのんびり歩いてみようと思った。
翌日に金環日食を控えた週末の新緑の奥多摩を訪ねる雲取山縦走は無事幕を閉じた。


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