誕生日

また一つ歳をとった。
今日は思うところがいろいろあった。

真に必要なものを追い求めればいい。素直にそう思う。そんな思いがある。
そのための理屈というのはあるのだと思う。
でも理屈だけではダメだということもより痛感した一日だった。
必要なものを追い求めるための理屈。その理屈にまぎれこむ現実。
思いと現実の間にあるもの。
思いを実現していくために、そのために何をすればいいのか、もう少しじっくり考えたいと思った。

そして、ここ一カ月の間、こうしたい、何とかできないか、という思いがあった。その思いを引きずっていた。
でも、それは割と早々に、そうは出来ないんだ、ということになった。
そして、そのことを自分自身に納得させるプロセスがあった。

それは、とても悲しかった。でもしょうがないんだと思った。そして、そうするべきなんだと言い聞かせた。
そう、それは自分の思いが先走っただけ。それを何とかしたいというのは若気の至りか。
そんなことを考えていた。

でも、今日はそれが少し違う方向に行ける可能性を感じた。
それはある意味での希望だった。今後どうなるかは全くわからない。
でも可能性は増えた。それに向かってやれることはやろうと思った。

ただ、やるせないものはあった。かつて納得した、納得させた理屈を変えること。
でも、そのこと自体は、ある意味どうでもよかった。

ただ、妙にいらついていた。むしゃくしゃしていた。はじめはよくわからなかった。モノに当たりたくなるほどいらついているうちに、その怒りの矛先が次第に見えてきた。
許せないものが見えてきた。
それは、自分自身。
なんで早々に諦めたんだ、そう自分を責めた。むしゃくしゃした。何だ自分はその程度かと。
自分の至らなさを痛感した。それが悲しかった。そして悔しかった。
シャア風に言えば、「認めたくないものだな。自分自身の若さ故の過ちというものを」ということなのかもしれない。
そんな未熟な自分を悔いた。

随分とへこんだ後、ふと、言葉を思い出した。
過ちを気に病む事は無い。ただ認めて、次の糧にすれば良い。それが大人の特権だ。

そう、次に進めばいい。それが大人の特権だ。
アニメは普段全然見ないけれど、今日はガンダムのシャア、そしてシャアの再来の名言に助けられた。
また一つ歳を重ねた今日、至らなかった自分も、大人の特権として気を病むことなく、認めて、次の糧にしようと思った。

先々がどうなるかはわからない。
でも、これからも頑張りたいと思う。