訃報

今日の午後、加藤則芳さんが昨日亡くなったことを知った。衝撃が走る。放心状態。30分ほど、仕事に手がつかなかった。

最後に加藤さんに会ったのは昨年秋のこと。3年ほど前に難病ALSを患い、ここ一年ほどはかなり筋肉が弱られて、ずっと闘病生活を送られていたのだけど、まさかこんなにも早く亡くなるなんて、思ってもいなかった。

加藤さんに出会ったのは、2009年1月のこと。僕が屋久島にいた当時、取材を受けた。その中で、加藤さんと一緒に屋久島の森を歩き、いろいろな話をさせてもらった。屋久島の自然のこと、日本の自然のこと、日本の政治、世界の政治、世界のトレイル、世界の国立公園、日本の国立公園、その管理システムの違い、日本のトレイル、日本の森の美しさ、バックパッキングの道具、こだわりの道具、旅先で出会った人々とのエピソード、八ヶ岳で暮らしていた当時の話、歩んできた人生の中の数々の苦労、数々の楽しみ、家族を想う心、…

一緒に森を歩いたのはたかだか数日。でも、密度の濃い数日だった。そして、以後何かとお付き合いさせていただくようになり、その中でもいろいろな話をさせてもらった。

僕の山の原点は、バックパッキング。今でこそ、沢登り、山スキーといった活動に重点を置いているけれども、元々は登山というよりは、トレイルを歩くということにあこがれ続けていた。

自然の中を旅するということ。
旅する中で出会う、素晴らしい景色、ハッとする自然の美しさ、人々との心温まる出会い。
そんなときめきとともに、俺は自由だ!と感じられる瞬間を数多く感じるひととき。
でも自由の引換えは自己責任。いろいろなところを旅していく中で、時に怖い思いにもさらされた。

でもそうした緊張感の中で感じてきた、己を信じるしかない、という強い思い。それはやがて自分自身に対する自信にもつながっていき、そうしたものが、自分の心と体をいろいろな面で本当によく育ててくれたなぁと思っている。

そんな思いを、わかってくれる方だった。

屋久島で撮った写真。縄文杉と向き合う加藤さん。
数千年この森で生き続けてきた縄文杉を一緒に眺めた瞬間がそこには写り込んでいて、それは、同じ空の下、同じときを過ごすことが出来たという楽しかった思い出を、今もなお瞼の裏に鮮やかに蘇らせてくれる一方で、加藤さんがいなくなってしまった、という現実と寂しさを、より一層かきたてるものとなっている。

訃報の連絡をくれた同期のメールには、こう書いてあった。

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トレイルの開通には間に合いませんでしたね。
昨日つくった手製のみちのく潮風トレイルのポスターを送ろうと思っていたのに。
現実ってのは切ないもんですね。
それでも俺は加藤さんと同じ夢を見て、三陸に赴任します。

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そんな言葉をみて、勇気づけられる自分がいた。
そう、加藤さんはまだまだ生きている。自分たちの中に。きっとね!

もう会えないのは寂しい。でも、その思いと夢は一緒に生き続けていますので。
切ない気持ちでいっぱいだけど、これからもどうぞ、宜しくです。